「無名」からいきなりPHPカンファレンス小田原を主催。行動力の人・あすみの転機は、なぜかいつも“向こうから”
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執筆 : 鈴木陸夫
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写真 : 藤原 慶
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編集 : 小池真幸
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PHPカンファレンス小田原の主催者・あすみさんは自他ともに認める「行動力の人」だ。
エンジニアを志した理由は「そのとき一番身近にいた人がエンジニアだったから」。初めてカンファレンスを主催すると決めたときも「面白そうと思った翌日には会場を押さえていた」。経緯もフットワークも、あまりに「軽快」だ。
「困りごとがあって解決策もあるなら、やらない理由がないでしょ」。そう言える人間は、実際には多くない。彼女の「軽快さ」は、間違いなくエンジニアとしての武器になっている。
しかしその「軽快さ」が、一方で何度も摩擦を生んできた。思ったことは口にする。前に出ることをためらわない。小学校ではそのことがいじめの原因になった。職場で衝突し、孤立することも珍しくなかったという。
尖った角は、丸く削れば摩擦は減る。社会からの要請に従い、「変わる」ことでうまくいくケースはあるだろう。だが、あすみさんは変わることをしなかった。自分らしい振る舞いを貫いた。彼女の場合は、むしろそのことがキャリアをひらいたようにも見える。
その証拠に、誰もが認める行動力の人の転機は意外にも、いつも「向こうから」やってきた。キャリアのスタートは「逆求人」。コミュニティに足を踏み入れたのも「受動的」。転職も「自ら踏み出すことはできなかった」と語っている。
所変われば品変わる。捨てる神あれば拾う神あり。自分が自分であるがままに居場所を見つける方法があるのだとすればーー。それはすべての人にとっての救いになるはずだ。
プロフィール
- あすみ(asumikam)株式会社リンケージ Webアプリケーションエンジニア
株式会社リンケージの Web アプリケーションエンジニア。PHP カンファレンス小田原 実行委員長。カンファレンスへの参加をきっかけに、日々の学びや失敗談をアウトプットするのが好きになり、ついにはカンファレンス主催まで至る。主に PHP 系やアジャイル系のカンファレンスで登壇。
出る杭は打たれ、インターネットに逃げ込んだ
あすみさんは「コミュニティに帰属することや貢献することをエンジョイしている人」という理解で合ってますか?
そうですね。貢献できてるかはわかんないですけど。一番大きいのは、私が知らないことを知っている人がたくさんいる場所であるということ。もともとは仕事をしていてわからないことがあっても、会社の中でしか解消できないと思っていたんです。でもコミュニティへ参加してみたら「えっ、めっちゃ私と同じことで悩んでる人がいる!」って気がついて。ここへ来れば自分の課題を解決できるんだと思いました。
あとそれとは別軸で、結構前に出てしゃべるのが好きなんで。登壇してみたら、私の発表を聞いて「すごい助かった!」みたいな人とかも出てきたりして。そういう意味ではちょっとは貢献してるのかな。そのどっちもにマッチして、コミュニティが好きになったって感じです。


「前に出てしゃべるのが好きだった」のは、エンジニアになる前から?
はい、好きでした。いつからなんだろう。中高大学では演劇をやってたんですけど、それも前に出てしゃべるのが好きだからっていう理由なんで。目立つのが好きだったのは、それよりも前から。本当の出どころはまじでわからないなー。
エンジニアの皆さんの中には、コミュニティをそこまで楽しめない人もいるようで。あすみさんのキャリアを伺っていく中で、その違いはどこから生まれるのかとか、そのことがキャリアにどう影響するのかといったことも考えられたらいいなと思っています。
いいですね。自分にも「私が行く場所じゃないな」と思って行かない選択をしてた時期があったんで。そこから先輩に「スポンサーセッションやってみない?」って声をかけてもらって、行ってみたら「あれ? 意外と私、行っても大丈夫だし、面白かったな」みたいになって、どんどんのめり込んでいったって経緯なんで、だからこそ言えることは何かしらあるかもしれないです。面白いかはわかんないですけど。
ではここからは時系列で伺っていくとして、そもそもエンジニアになることにした経緯は?
大学生のとき付き合ってた彼氏がエンジニアだったんです。「私もエンジニアになったら、もっとこの人と会話のタネが増えるかも!」と思って。だからそんなに深い理由はないんですよ。ただ、大学の専攻が数学だったんで、専門職のエンジニアとして就職する自分が想像できたところはありました。
数学を専攻として選んだのも、高校のときに好きだった男の子が数学好きだったから。そのとき好きだった人の影響で選ぶ、みたいなところがありましたね。
そこまで専門的な知識はないところからのスタートだったわけですね。
はい。強いて言うなら小学生のときに結構パソコンにのめり込んでて、夜中から明け方まで寝ずにやっちゃうみたいな感じでした。そのころはHTMLとCSSで自分のウェブサイトを作ってました。それがエンジニアになったことのルーツと言えばルーツなのかもしれないです。
ウェブサイトは何かしら自分の活動を発信したくて始めたってことですか?
そうですね。絵を描くのも好きで、描いた絵をインターネットのお絵かき掲示板に公開するってことをやってたんですけど、そこで仲良くなった子たちがみんな自分のウェブサイトを持っていて。「かっこいい!」「おしゃれじゃん!」「私もやりたい!」と思って、一生懸命調べながら作ってました。
思い出深いのは、自分のホームページにインラインフレームを使って、メニューとコンテンツを分けるような実装をしたくて1週間ほど格闘したことです。完成したときは嬉しくて、数少ない友達に自慢したのを覚えています。でもそこから技術にのめり込むとかそういうことでは全然なく。やる人はきっともっと深いところまで行くんですけど、私はできなかったら諦めてそのままにしちゃってたんで。


パソコン、インターネットのどんなところが面白いと感じてたんですか?
あー、いい質問ですね。あまりポジティブじゃない……どころかネガティブな話で、小学生のころ酷くいじめられてたんです。「出る杭は打たれる」って感じで。
私は声がでかいし、リーダーがしたくて前に出るから何かと目立つ。思ったことはすぐに口に出しちゃうとか、性格にもちょっと難ありだったんで。それでも小学4年くらいまでは「変わってる子」としてうまいことできたんですけど、高学年になるとみんな「うざくね?」って感情になっていったみたいで。そこからいじめられるようになりました。だから学校に友達がいなくって。
そんなときにパソコンをやってみたら、インターネットには友達ができたんですよ。それで「パソコンだぁ〜いすき!」「リアルはうんこ!」みたいな感じになって、ずっとパソコンをやってました。
インターネットが逃げ場として機能していたんですね。
そうです。中学に入ってからも3年間、ずっとそんな感じでした。学校へ行くと自分の机だけがひっくり返されてたり、運動靴の中に生卵が割られていたり。「あいつはいじめられてるから何してもいい」みたいな感じで、下の学年からも悪口をバンバン言われて。中学時代はおもんなかったですね。
我慢は苦手。だからこそ「拾う神」あり
そういう背景がありつつ、お付き合いされていた方の影響でエンジニアに。
その前に高校が挟まるので簡単に話すと、高校は中学のしがらみがない状態で入れたので、いじめみたいなものはもうなくなっていて。すごく楽しかったです。
中学時代は遊ぶ友達もいなかったので、3年になってからは受験勉強ばっかりしてたんですけど、そうしたらもともとは悪かった偏差値が、志望していた高校を遥かに超えるくらい一気に上がって。いざ高校生活が始まるとちょっと勉強しただけで学年1、2位が取れる。それが楽しくって、高校に入ってからも結構勉強を続けて、生徒会の副会長もやってました。そして実は高校の時から派手髪をやっていたので、素行が悪そうなのに成績は優秀というのが自分にとっての「かっこいい」としてエンジョイしていました。
技術に触れることは?
インターネットはずっとやってましたけど、エンジニア的な技術にはまったく触れず、ただの「タイピングが速い子」って感じでした。
徐々にエンジニアの方に近づいていったのは、大学に入ってから。さっきも言いましたけど、当時の彼氏がエンジニアだったんで。小学生のころにHTMLをやっていた記憶を掘り起こして「こんなん作れるよ!」とか言って見せてたと思います。お得意のインラインフレームで作ったホームページを嬉々として見せたら、「今はもっとすごいことができるよ」って言われたりもして。
そういうことがあって久々にHTMLに触れているうちに「もっと本格的にやってエンジニアになるのがいいかも」と思い始めた感じです。


じゃあそこから本格的にエンジニアとして働き始めるための準備を。
それが全然しなかったんですよー。就職できたのは奇跡だと思ってるんですけど。そのころはエンジニアの逆求人イベントというのがあって、よくある求人イベントとは逆で、学生はただ座ってるだけ。そこに興味を持った企業の人が話を聞きにきてくれるみたいなやつで。エンジニアの先輩にそういうイベントがあることを教えてもらって、何回か行っていたんです。そこで私のキャラクターを面白いねって言ってくれたのが、新卒で入社した小田原の会社でした。
逆求人イベントでは学生が自分の作ったものを見せてアピールするんですけど、私はプログラミングでの制作物はほとんどなかったので、自作のコラ画像を見せてました。
演劇サークルに所属していて、こういうコラ画像を作っていて、みたいな自己紹介スライドを作って見せたら、それがすっごく刺さったみたいで。当時のEMが「あすみさん、面白いね」「めっちゃ欲しい」みたいに言ってくれて。当時、その会社のビジョンだった「クリエイティブ魂に火をつける」というのが奇跡的に私にマッチして、ポテンシャル採用みたいな感じで入社が決まりました。
ここまでのお話を伺っていると、あすみさんご自身はずっと自分らしくいただけなのだけれど、環境の方が変化することで、いじめられもしたし、受け入れられもしたという話として聞こえました。
すごい! 言語化うますぎる! 確かにそうですね。ずっとこんな感じではありました。なんですけど、環境によってそれが受け入れられるときと受け入れられないときがあって。新卒で入った会社には「いいですね」って言ってもらえた感じです。
受け入れられないことや圧力を受けることが多いと、自分らしさを失ってしまってもおかしくないと思うんです。あすみさんが周りに合わせることをせずに自分を貫けたのはなぜですか。何か支えになるものがあったとか?
なんだろう。でも、あんまり我慢するのがうまくないからじゃないですかね。今でもそうなんですけど、自分の感情を我慢して周りに合わせるっていうのがそもそも苦手なので。だからこそあんまり変わらずにここまで来たのかもしれないです。
初めてのカンファレンス登壇。「こんな私でも受け入れられるんだ」
実際にエンジニアとして働き始めてどうでした?
最初の1、2年は仕事はあんまり好きじゃなかったです。「わからない。楽しくない。早く終わんないかな」って思ってました。開発部の人たちのことは好きだったんですけど、プログラムを書く仕事は毎日「苦しいな」と思いながらなんとか頑張ってる感じでした。
ただ、それとは別に開発部の勉強会みたいなのが月一であって。その運営はすごく楽しかったですね。「このテーマでしゃべってください!」って誰かに頼んだり。勉強会とか締め会とか、そういう組織運営みたいなところはすごく楽しかったですし、会社からも評価されてました。
やっぱりそういうのは一貫して好きなんですね。苦しいだけのプログラミングが変わったのはどのあたりからですか?
2、3年目になるとだんだんコードがわかるようになってきて、そうすると楽しくなってきましたね。
ただ、そうやって読めるようになるにつれて「このコードたち、すごく読みにくいな。本当に正しいのか?」みたいに感じることも増えてきて。もちろんその時点では何が良いコードかなんてわかってないんですけど、「目的のコードに辿り着くのに、なんでこんなに移動しなきゃいけないの?」とか、「読むのにすっごく時間かかるし、わかりにくい!」とか思ってました。コードの読みやすさとか「正しい設計って?」みたいなことを意識し始めたのはこのあたりかもしれないです。それが自分の中の最初の課題になったっていうか。
そんなタイミングで冒頭でお話しした先輩が転職してきて、いろいろ教わる中で世界が広がっていった感じです。先輩の勧めでスポンサーセッションもやることになって、「こういう世界があるんだ!めっちゃ楽しい!」ってなりました。


初めて登壇したのはPHP Conference Japan 2020だと思うんですけど、そこで感じたのが「課題に対する答えが見つかる場所」ってことですか?
その気づきを得たのはもう一つあとのカンファレンスです。このときは単純に「私なんかが参加しても受け入れてもらえる場所なんだ」ってわかった感じ。コロナ禍のオンライン開催だったんで家で発表しただけなんですけど、終わったあとにTwitterとかYouTubeライブのコメント欄とかで「こういうところが良かった」って言ってくれているのを見て、「あ、こんな私でも受け入れられるんだ」って。
その体験が楽しかったから、別のカンファレンスにも続けて登壇しました。そのときは現地に行ったんですよ。そうしたらいろんな発表をしている人がいて、「私と同じようなことで悩んでるじゃん」っていう発見があった。内容がわからないセッションでも「みんなすごく楽しそうにしゃべっているんだな」っていうのを知ったりもして。やっぱり現地に行って、人としゃべることで初めて気づけることがありますね。
PHP Conference Japan 2020の講演タイトルは「自分のやりたいことやって超簡単にチームのコミュニケーションを活性化させた」。受け入れられるか心配だったのは、技術そのものに関する発表というより、チームのコミュニケーションがテーマだったから?
そうです、まさに。「PHPのカンファレンスなんだから当然PHPの話をしなきゃいけないよな」って思ってました。でも当時の自分は技術力に全然自信がなかったから。普段やっていることと言えば、チームの勉強会をいい感じにしたみたいなことくらい。でも先輩に話したら、「それを話せばいいんだよ」って言ってくれて。半信半疑でしたけど、やってみたら本当にめちゃくちゃ普通に受け入れてもらえたんで、「あ、大丈夫なんだ」って思ったっていう。
先輩の持って行き方がうまいですよね。
そうなんですよ! 私にとってはその先輩にマネジメントしてもらえたのがめちゃくちゃデカくて。カンファレンスという世界を教えてくれたのも先輩だし、技術本を読む楽しさを教えてくれたのもそう。自分の人との関わり方がガラッと変わったのもこの先輩のおかげなんです。


「人との関わり方が変わった」というのは?
しゃべっていて何となくわかると思うんですけど、それまでの私は我慢を知らない人生だったんで。やりたいと思ったらやる。おかしいと思ったらおかしいって言う。批判的なことも堂々と言っちゃうタイプなんで、人と衝突することが割と多かったんです。口調も強いですし。
そんな私に対して先輩は「あすみさんは素晴らしいけど、そこだけがもったいない。もうちょっとうまくできるといいよね」みたいに言ってくれて。自分でもめちゃくちゃ衝突してきた実感はあったから、「もったいないかー」みたいに素直に受け入れることができて。いろいろとコミュニケーションの仕方を教えてもらって、そこから人間関係も好転しました。本当に私の人生を変えてくれた先輩なんです。
いい出会いがあったんですね。ただ、「我慢できない」というとネガティブに聞こえるけれど、それは行動力の裏返しでもあるから、エンジニアとして必要な素養でもありますよね?
確かに意思決定と行動が速いっていう点で評価されることはありますね。「困りごとがあって、解決する方法もあるのであれば、やらない理由がないでしょ!」みたいな感じでシュシュシュって実現させるところがあるんで。
それこそ、このあと話すと思うんですけど、カンファレンスの主催もそうでしたし。見切り発車で「ひとまず会場を押さえちゃえ!」みたいな感じで始めたんで。
やりたい!で本当に建ててしまった「小田原のPHP一夜城」
既存のカンファレンスに登壇するのと自ら主催するのとではまた話が違うと思うんですけど、2024年に「PHPカンファレンス小田原」を立ち上げたのはどういう経緯だったんですか?
前の年の6月に「PHPカンファレンス福岡2023」っていうカンファレンスに参加したときに誰かに言われたんですよ、「(自分が住んでいる)小田原でやればいいじゃん」って。そこで初めて「ああ、その選択肢があるんだ」って思って。
それであらためて考えてみたら、これまでにリーダーとか散々やってきてるし、大学のサークルとかでもイベント企画するのがめちゃくちゃ得意だったし、社内だけど勉強会の運営もやってるなって。「できるかも!」っていう自信が湧いてきて、福岡から帰ってきた翌日に会場を予約してました。
めちゃくちゃ速いですね。
早くしないと誰かに追い越されちゃいそうな気がして。一度予約しちゃえばあとはもうやるだけですし……って言ってもそこから不安になったりもしたんですけど。その時点ではまだコミュニティにどっぷり浸かる前というか、少しずつ知り合いが増え始めたくらい。「無名な私が急に始めてよかったんだっけ?」みたいな不安はありましたけど、でも周りの人たちが支えてくれたおかげで、結果的にはもう大成功だったんで。
大成功というのは?
大きな滞りなくできたし、その日一日に自分のしたかったことが全部叶ってるし。みんなからもすごくいいフィードバックがありました。「小田原、めちゃくちゃ楽しかった!」みたいな。自分としては、人と人をうまくつなげた感覚がありました。私もこんな感じで司会やオープニングをやるので、かしこまってなくて、距離の近いカンファレンスが作れて。みんなからもそこの評判が高かったです。
確かにオープニングでトンマナが決まるところはありそうですね。
すごく評判が良かったものに「1分間フィードバック」っていうのがあって。セッションが終わったあとに1分間、その場でフィードバックをもらう時間を設けたんです。
これまでのカンファレンスの課題として、フィードバックの数がなかなか集まらないというのがありました。家に帰ったあとだと、相当限られた人しか書いてくれないから。その場で書いてもらうと、あんまり長いものは書けないけど、たくさん集まるんですよ。それまでせいぜい5、6件だったのが、一セッションあたり30〜40件まで増えて。結構革命みたいな感じで、今ではいろんなカンファレンスで取り入れられてます。
そういう「やったらいい」と思っていた細かいアクションを全部詰め込んだ結果、みんなの「いいね」って気持ちがちょっとずつ重なって、「PHPカンファレンス小田原最高!」ってなった感じ。小田原という土地が好きということも表現できたし、イベントをつつがなく運営できるとか企画力とかの自分の能力を再認識して自信にもなったし、やってよかったですね。


ちなみに小田原のどんなところが好きなんですか? 住む場所も働く場所も、やっぱり東京を選ぶ人が多いと思うんですけど。
新卒で入った会社が、周辺に住んだら家賃補助を出してくれるっていうんで、会社まで徒歩圏内の場所で暮らし始めたんです。そうしたら「少なく見積もっても東京の7倍はいい!」って感覚になっていって。
何がいいって、朝起きてカーテンをあけたら、目の前は山なんですよ! 夜は超静かだし、満員電車に乗らなくていいのがこんなにもストレスフリーなのか!って。東京まで帰ろうと思ったら、新幹線を使えば品川まではたった26分。逆に箱根までは車で10分だから、すぐに旅行気分も味わえるし。海もあるし、山も川もある。城もある。ドン・キホーテもある。ないのは空港くらい。「日本の全部があるじゃん!」ってなって、住み始めて5年目くらいには「ここに骨を埋めよう」と思ってマンションを買いました。
小田原のエンジニアコミュニティを盛り上げたいという気持ちも?
それは実は動機としてはあんまりなくて。カンファレンスをやってるのは極論、私が人のトークを聞くのが好きだから。私の人生はそこから救われていったので。こういうトークをする人がもっと増えていけばいいのにと思っていて、そのためには自分で開催してしまうのが手っ取り早かったんです。自分で開催して、自分がしてほしいトークをしてもらったら、誰よりも私が嬉しい。そういう感じで年に一回のペースで続けてます。
技術力の自信のなさが、いつも行動を躊躇わせる
初めてカンファレンスを主催したのが2024年の4月。その年の8月には初めての転職もされていますね。
そうです。ちなみに7月には結婚もしてるんで、全部同じようなタイミング。もうビッグイベント満載みたいになっちゃって。2024年が人生の大祭りでした。
カンファレンスをやったことと、そのあとの転職は関係していたりしますか?
自分としてはそこまで関係してない……でも関係してるか。そのころには会社と折り合いがつかないと感じることがだんだんと増えてきていました。そういう話を飲み会でしていたら、現職のCTOがこのときのボヤキを覚えていてくれていて。主催カンファレンスが終わったあと即座にカジュアル面談に誘ってくれました。


誘われてあすみさんとしてはどうだったんですか。
嬉しかったです。転職したいって思いは何年か前からじわじわと持っていたけれど、でも自分から行動するにはどうしたらいいかあんまりわかんなくて。だから向こうから声をかけてくれたっていうのがすごく嬉しくて、4月下旬にはカジュアル面談をして、5月には転職を決めてました。
行動力の塊のような人が、転職に関しては自分から動くのを躊躇っていたというのは意外でした。
そこが私のちょっとかわいらしいところで。やっぱり技術力的な面で自信がなかったんですよ、ずっと。一回転職した今はそこまで心配する必要はなかったかもなと思うんですけど。新卒で入って5、6年いる会社ではやれる自信があっても、他の会社でできるかは別物だと思っていたから。そのとき取り扱っていたプロダクトコードは結構なレガシーで、最新技術を追ってるってわけでもなかったんで。結構不安なところは不安で、自分からは踏み出せないところもあるんです。
じゃあ転職の動機として技術力を上げたい気持ちもあったわけですか。
そうですね。やっぱり自分にもっと自信を持ちたい、そのためには新しい場所で、信頼できるエンジニアがいるだろうところで働きたいという気持ちがありました。
転職先のリンケージで働き始めて、今はどんなことを感じていますか?
いちおう今の立場はエンジニアなんですけど、PdMみたいなことも兼任でやっていて。CSの方と日々お話ししながら、ユーザーの行動を分析して、仮説を立てて、「こういう機能あったらいいんじゃね?」って自分から提案して、いいねとなったら速攻で開発して、ユーザーの反応を見てまた改善して。もう本当に全部やってる感覚があります。それが楽しいですね。
コントローラブルな範囲が広いことが本当にやりやすい。自分でどんどん決められるんで。待つ時間がない。即動ける。そこがいいなって。
そういう環境の方があすみさんの行動力が生きそうですね。技術力に関してはどうですか。めきめき上がっている実感がある?
先輩たちのおかげで、今まで自分になかった技術力、基礎力が上がったなと思う部分はあります。今は技術力を上げたいというよりは、自分が担当しているプロダクトがどうしたら成功するかとか、価値を上げられるかとか、どちらかというとそっちの方がやりたいことになってますね。
もちろん技術力も上げたいんですけど。でも質問されて改めて考えてみると、今の自分のフォーカスポイントはそこにはなかったです。


少なくとも「技術に自信がないから行動できない」状態からは脱却できたってことでしょうか。
めちゃくちゃそうだと思います。私はこの先もたぶんプロダクトが好きかどうかで転職先を選んでいくと思うんですけど、技術力がないことで悩むことはない……いや、ないことはないか。でも、少なくとも前に感じていたような足枷にはならない気がします。
「意外と周りはあなたに興味はないから、一回行ってみたら?」
今すぐではなくても、やってみたい魅力的なプロダクトがあれば転職はあり得る?
そうですね。そういう軸で魅力的なところがあれば動くだろうなって思います。あともうひとつ軸としてでかいのは、やっぱりコミュニティに理解があるかどうか。外の世界に興味がある人たちと働いていた方が、今の自分の価値観と合う気がします。自分が使っている技術のキャッチアップをするのは大事だと思っているので。プロダクトとは別に、コミュニティに関することにポジティブな感情のある会社というのは、自分の中で大事な軸です。
改めてお聞きしたいんですけど、コミュニティをうまく面白がるには何が大事なんですかね。「自分には技術力がないから、コミュニティとは無縁だ」と思っている人は多いと思うんですけど。
いや、本当にそうで、コミュニティやイベントっていうのはやっぱり技術が好きな人が集まるところだと思うんですよね。私の1、2年目のときって、さっきも言った通り、そういう感じじゃなかったんで。仕事はそんなに楽しくやれてるわけじゃなかったし、プログラムも仕事が終わったら一切書かないみたいな感じだったんで。私みたいな人が行っても浮くだけで、お呼ばれしてる場じゃないって認識でしたね。


でも、今はプライベートを含めてコードを書くのが好きになった?
そうなんですよ。面白いですよね。自分でもこうなるって思ってなかったんですけど。やっぱりわかり始めると楽しくって。今はカンファレンスでトークの応募をして、受かったらそのための準備としてコードを読んで、書いて、とか当たり前にやってますし。自分のカンファレンスに必要なシステムをみんなで手作りして楽しんだりとかも。前までは「苦しい!」って思いながら読んだり書いたりしてたのが、わかるようになると楽しくって、自分で勝手にやるみたいな感じになってるんで、変わりましたね。
いや、なかなかね、「自分の仕事を好きになりましょう」みたいなのって、強制されてできるもんじゃないので。私の場合はやっぱり先輩との出会いがあったからってのが大きいですね。
転職やコミュニティ活動を通して自分の相対的な位置を知ったり成長したりしたくても、そもそも自信がないと転職にもコミュニティ活動にも踏み出しにくい。卵が先か、鶏が先か。このジレンマはどうやって突破したらいいと思いますか?
一つは、きっかけはすでに「してる」人が作ってあげればいいってことじゃないですか。私自身がカンファレンスに参加したのも、転職したのも、全部人に誘われてのことでしたし。「してない」人のアクションを期待するよりも、「してる」人が「してない」人にアクションしてあげる方がいいんじゃないかなって。周りが「一緒に行ってみようよ」って言ってあげるのが一番いいんじゃないかと思います。
ただ、誰かの働きかけを待ってるだけだと他人依存になっちゃうから。問題は自分から一歩踏みだすために何ができるか、ってところですよね。何がそれを躊躇わせているのかを言語化してみる、とかかな。
自分が踏み出せない理由はなんなのか。
私の場合は、行動できないときは一貫して自分が傷つくことが怖かったんで。技術力がなくたって飛び込めばいいんですけど、馬鹿にされて傷つくのが怖かったんです。いや、馬鹿にする人なんて実際にはいないんですけどね。転職サイトに登録するのを躊躇ったのもそうで、「技術力が足りなくて候補がないです」って言われて落ち込むのが怖かったから。
でも30代になった今思うのは、20代のうちにもっといろいろやってみればよかったなーっていうことで。恥ずかしがらず、恐れずにやっておけばよかったなって。だからまずは踏み込めない理由が何なのかを言語化してみる。それが「傷つくのが怖い」とか「自信がない」とかなのであれば、「意外と周りはあなたに興味はないから、一回行ってみたら?」と言いたいです。
やりたくないことでも、やってみたら意外と合うってこともあるじゃないですか。ちっちゃい子はだいたいピクルスが嫌いなものだけど、食べてみたら意外と「美味しい!」ってなる子も中にはいる。「まずい」と思ったならもう食べなきゃいいだけなんで。やりたくないことも一回はやってみて、合うか合わないかを確認してみる。その一つとして、カンファレンスにも一回行ってみたらいいんじゃないかなって。もしかしたら私のように、そこでポジティブな何かが見つかるかもしれないんで。


編集後記
周囲を巻き込みながら圧倒的なスピードで前へと進むあすみさん。その軽快さを見ていると、慎重に物事を考えてすぎて行動できない自分とは「住む世界が違う人」のように思えてなりませんでした。しかし、じっくりとお話を伺う中で、その印象は静かに覆されていくことになります。
彼女の口からこぼれたのは、「技術力に自信がないから、自分からは踏み出せなかった」という意外な本音でした。傷つくことを恐れ、新しい環境を前に足踏みしてしまう。そんな私と変わらない葛藤を抱えていると知った時、胸の奥が温かくなるような親近感を覚えました。
そんな葛藤を抱えながらも、なぜ彼女の元にはいつも救いのような好機が向こうから舞い込んでくるのか。それはきっと、彼女が自分の感情に嘘をつかず、どんな環境でも「自分であること」を諦めなかったからだと思います。我慢が苦手だと笑う真っ直ぐな人柄が、周囲の「拾う神」を惹きつけ、ここぞという瞬間の行動力へと繋がっていく。その不思議な循環に、キャリアの新しい可能性を見た気がします。
「意外と周りはあなたに興味はないから、一回行ってみたら?」
インタビューの終盤に彼女が語ってくれたこの言葉は、自信が持てずに身動きが取れなくなっている私の背中を、優しく力強く押し出してくれました。(転職ドラフト 市川斐乃)
LIFE DRAFTは、人間を取材する。
既にあるITエンジニア像をなぞるのではなく、その人がどう生きてきたのかを丁寧に聞くことで、エンジニアという生き方を描きたい。有名CTOや凄腕ハッカーばかりを取り上げたりはしない。キャリアも属性もバラバラのエンジニアに、じっくりと話を聞いてみたい。
インタビューで聞いているのは、技術や仕事のことだけじゃない。家族のこと、身体のこと、迷い、偶然、諦め、死生観、言葉にならなかった心の揺動。ほんとうは、そういうものの上にエンジニアという生き方があるはずだ。人はみな、それぞれに固有の生を生きている。その抽象化できない生き様を、LIFE DRAFTは一つ一つ映していく。
かつてないほどにキャリアが多様化するエンジニアの今日を、私たちは描いていく。数えきれない生き方がある。
