プロダンサーから3週間でエンジニアに転職。あこがれ駆動で走り抜けた山本美奈子の20代
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執筆 : 鈴木陸夫
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写真 : 藤原 慶
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編集 : 小池真幸
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10代後半をトップダンスアーティストとして過ごした異色の経歴。しかし、拠点としていたフィリピンから日本へ一時帰国したわずか3週間で、マネージャーにも知らせないまま突然、エンジニアへの転身を決めてしまう──。
LayerXでフルスタックエンジニアとして活躍する山本美奈子さんは「あこがれ駆動」を自称する。彼女のキャリアは常に最前線を駆け抜けるように進んだが、背中を押していたのはいつも「あの人と同じ場所まで辿り着きたい」というあこがれだった。
キャリア選択に戦略性がないわけではない。だが、それ以上に「やりたい」「やらずにはいられない」という衝動が、彼女の人生をかたちづくっている。
プロフィール
- 山本美奈子株式会社LayerX ソフトウェアエンジニア
DMM.comグループ 株式会社終活ねっとに入社後 DMMのお葬式をはじめとする複数サービスほぼ全てのフルリニューアルを担当。同社にてフロントエンドの開発を牽引する。その後は複数のモバイルアプリケーション新規開発や PjMとしてプロジェクト立ち上げからリリースまでのマネジメント経験を積み メディカルフォースへ創業期のタイミングで1人目のメンバーとしてジョイン。同社にてリードエンジニアとして自費診療現場向けのVertical SaaS「medicalforce」の開発へ従事。2021年3月のサービス開始から1年9か月で導入院数200院を突破。2023年7月にLayerXに入社し、請求書処理、経費精算などの支出管理をなめらかに一本化するSaaSや法人カードを提供する「バクラク」シリーズの開発に従事。
開発? 私にだってできるし!
プロフィールを拝見すると、山本さんはまだ20代なのに、情報量が非常に多いですよね。ダンサーというのもありますけど、タガログ語も話せて、さらに音楽ボランティアをしているNPOの活動もされている。
ありがとうございます。読んでいただいて。
ダンサーとしての活動は今も続けているんですか。
そうですね。今はもうライフステージ的に趣味半分、仕事半分というか、仕事があればやって、あとはもう趣味で踊るみたいにシフトしている感じです。
普通に考えるとダンサーとソフトウェアエンジニアの仕事にはだいぶギャップがあると思うんですが、どんなきっかけがあってエンジニアの世界に飛び込んだんでしょうか。
これ、自分では結構恥ずかしい話なんですよね。過去にもインタビューしてもらったことがあって、それがもう世に出ちゃってるので笑い話として諦めて話すんですけど。
当時の私はフィリピンでプロのダンスアーティストグループに所属していて、そこでがっつり、プロのダンサーとしても、アーティストとしても活動していた、みたいなのがエンジニアになる直前で。そのときにお付き合いしてた男性が大学でプログラミングを学んでいたのですが、あるときその人と喧嘩をした直後に私の前でプログラミングをしているのを見て、負けず嫌いだった私は「開発? 私にだってやればできるし!」とムキになって、本気で勉強し始めたのがきっかけでして。


パートナーの方と張り合って、というのはあまり聞かないきっかけですね。
エンジニア自体は完全未経験というよりは、小学生のころにパソコンを触る機会が本当に多かったというのはあります。それこそ初めてホームページを作ったのも小学生のときだったし、リサイクルショップに行って、ジャンク品のパソコンを買ってきて自分で直したり、とか。今の時代じゃありえないんですけど、ロックがかかっちゃってどうにもならないパソコンを、ちょっとハックじゃないけど、コマンド打って使えるようにして、「できたー!」みたいなことをやっていたという背景もあって負けず嫌いが発動して、開発の勉強にはすごくすんなり入れたというか。
家族にそういう仕事をしている人がいたんですか。
そういうわけではないんですけど、お父さんがコンピューターのサークルに入っていて、生まれた頃から家にコンピューターがあったんです。それでお父さんがパソコンを触ると「みなこがやるー!」みたいな感じで膝の上に乗って、横取りするみたいな感じで、本当に小さいころからパソコンには触れてました。お父さんは迷惑がっていたのですが(笑)。
でもそこからストレートにプログラミングとかエンジニアリングの道に進むのではなく、最初はダンサーになったわけですよね。
離れちゃったきっかけはすごく単純で、中学校に入って部活を始めて、音楽の道に進んだんです。そこから音楽系の大学に入るところまでが私の音楽のキャリアなんですけど。大学は体調を崩したことで入学して割と早い段階で辞めていて、そのタイミングでお父さんから「一旦キャリアのこととか全部忘れていいから、自分の好きなように、やりたいことをやっていいよ」って背中を押してもらって。「じゃあ一回、ダンサーをやってみたいな」となっていった感じです。
ダンスはどこから出てきたんですか。
プロではないんですけど一応お母さんがダンサーで。それで私も小さいころから遊びみたいにしてやってました。
そういう背景が。とはいえ、そこからプロにまでなるんだから普通ではないですよね。
最終的には本当にすごく有名な方のバックダンサーをしたりとか、振り付けのお手伝いをさせてもらったりとか。日本でいうMステみたいな、フィリピンで一番大きな音楽番組にレギュラーで出演させてもらったりとかもしたので。やりたいところまでやり尽くせた感じです。
今さらですけど、どうしてフィリピンだったんですか。生まれがフィリピンということ?
生まれたのは日本ですが、お母さんがフィリピン人で小さいころはよくフィリピンに連れていってもらっていたので、自然とフィリピン語も喋れるようになった感じです。高校卒業後は1年に2回はNPOの活動とダンサー活動を兼ねてフィリピンに帰りつつ、就職前は1年半〜2年くらいがっつり住んでいました。エンジニアになったのは一応、みんなの新卒と同じ年ですね。


やっぱり情報量が多くて処理が追いつかないんですが、ひとまず話を戻すと、最初はパートナーの影響で開発の勉強を始めた、と。
そうです。本格的に勉強したのはそのときが初めてだったので、めちゃめちゃのめり込んだというか。アーティストとしての活動はすごく忙しくて、深夜の2時にリハーサルが終わって、朝6時にスタジオ入りしてみたいなことも平気であったんですけど、そこから帰って朝までずっと勉強して、みたいな。本当に暇さえあれば、という感じ。さっきお話しさせてもらったレギュラー番組も、だいたい朝5時くらいのスタジオ入りで、お昼の生放送だったんですけど、待ってるあいだもずっとプログラミングの本を読んでました。空いている時間はすべて勉強に費やしたってくらい、ハマっちゃってましたね。
プログラミングの何にそこまでハマったんですか。
やっぱり自分の原体験と紐づくのかなと思うんですけど、コンピューター上で作ったものを動かすみたいなところには、すごく懐かしい気持ちもあって。やっぱりものづくりが好きで、それをパソコンでやるってところに楽しさを感じていたのかなって思います。
その頃の経験もあって、今でもプライベートで個人開発をするのが楽しくて。特に電子工作が好きで、指紋認証プログラム作ってみたり、電子ペーパーを使ってダッシュボードを作ってみたり、ダイソーのBluetoothボタンでLED板を操作したりを、ラズパイと組み合わせて遊んだりしています。
それ以前にはダンスや音楽にもハマってらっしゃいますけど、ハマり具合や、そこで感じていた面白さは似たものなんですか?それともまったく違うもの?
似てましたね。最初は負けず嫌いから始まったけど、楽しいに変わったんですよね、勉強していく中で。どんどんものづくりができるのがすごく楽しくて。で、もっともっと知識を付けたいっていう思いで、がむしゃらに勉強してた感じです。
やり始めたら没頭するみたいな方なんですかね。
たぶんそれで間違いないと思います。
3週間の一時帰国、無断でエンジニアに転身
その後、エンジニアとして働き始めるわけですが、その時点でダンスの活動は一区切りするつもりだったということですか?
それが、そのつもりはなくて。一回、日本に3週間だけ一時帰国したんですが、そのときに実際にエンジニアとして働いてる人たちと会う機会があって。そうしたらエンジニアの人たちがキラキラ見えたというか、すごくあこがれちゃって、「あれ? 私、エンジニアになりたいな」ってそこですごく強く感じちゃったんです。で、やりたいってなったらもうやっちゃうタイプなので、フィリピンに帰るまでの3週間で、仕事を調べ始めて。求人を300件くらい漁って、Trelloっていう、ボードでタスク管理できるツールに全部会社を書き起こして、「自分にとってはここがいい」とか、「ここが気になる」とか、もう本当に徹夜で。で、申し込みたいところに申し込んで、内定をもらうまでが1週間くらい。
そこまで一気に駆け抜けて。ダンサーはどうするつもりだったんですか?
ホントですよね。めちゃめちゃ怒られました。一人で勝手に就職活動を始めて、「決まりました」って。フィリピンに戻って「日本に帰ります」って言ったら、「残ってる撮影どうすんだ」みたいにマネージャーは頭を抱えてました。でも、ちょっと我慢できませんでしたって感じです。
思いとか、そこからの勢いがすごいですよね。
そうなんですよ。今振り返ると、それくらい開発するのが好きだったっていうことだと思うんですよね。一般的にはたぶん「エンジニアを仕事にしたい」ってところから勉強し始める人が多いと思うんですけど、私は純粋に「開発が楽しい」っていうところから始めて、結果としてエンジニアになったので。よく言われるんですよね、再現性がないロールモデルだって。でもやっぱり、楽しんでやれるかどうかってすごく大事なんじゃないかなって思います。


そのときの会社選びにはどんな軸があったんですか。
刺激を受けたかったというか、学べる環境に身を置きたいっていうのがあって、自分が尊敬できる人がいっぱいいそうかとか、会社自体の勢いがあるかとか。すごくわがままなんですけど、初心者扱いされたくなくて、会社に入ってすぐチームの一員として活躍させてくれそうか、みたいなところを重点的に見てました。どうせエンジニアとしてやるなら第一線で活躍したいっていうのがあって、会社選びも妥協しなかったというか。自分の実力で行けるマックスの会社を見つけたかったので。
ダンサーとしてはプロでも、企業に入って働くのは初めてなわけですよね。それでいてしっかりと自分の考えを持って会社選びができるのは、シンプルにすごいなって思います。
結構私、あこがれ駆動というか。ダンスのときも「自分が尊敬する人たちと踊りたい!」「尊敬できる人のできるだけ近くにいて、同じ場所に辿り着くまで頑張りたい!」みたいなことでやってきていて、それと同じような感覚だったのかなって思います。
その時点であこがれの人や、理想のエンジニア像がすでにあったということですか。
そのときはまだ未経験だったので、すごく具体的なものがあったわけではないんですけど、最終的に1社目に決まった会社のCTOの方と最終面接したときに、すごくワクワクしたというか。DMMグループの、当時流行ってた東大ベンチャー、エンジニアにも優秀な人たちがゴロゴロいるみたいな会社で、「私、この中で働きたい!」って思ったのを覚えてますね。
どんなお話をされたんですか、そこでは。
勉強中の成果物を見せたら、CTOも「これ一人で作ったの?」みたいに興味持ってくれて。そこから結構話が盛り上がって、みたいな感じでしたね。
「読めばわかります」を真に受けて
実際にエンジニアとして働き始めてみて、どうでしたか。
実は1社目に入ってすぐのタイミングで、どうしていいか本当にわからないって状況になったんですよ。タスクを振られたけど、何言ってるかさっぱりわかんないし、PHPのコードも全然読めないし。一瞬「終わった」と思った。これもちょっと恥ずかしいんで、笑い話にして話してるんですけど、当時のCTOに「このタスクって、どこのファイルを触ったらいいですか?」みたいなことを聞いたときに、ひとこと、「読めばわかります」って言われて。
「そんな言い方しなくても」って気持ちにもなりそうですけど。
なんなかったんですよね。あまりにも素直すぎて。「ああ、読めばわかるんだ」って。それで読んだんですよ、ファイルを。2、3日くらい、他には何もせずに、もう必死にコードと向き合ってました。そしたら理解できたというか。そこからはすごく勢いがついたって感じですね。
そのときに従事されていたお仕事というのは?
「終活ねっと」というサービスを運営しているところだったんですけど、会社としてちょうどDMMグループに入ったばかりで、持ってるサービスをすべてフルリニューアルしようっていうタイミングだったので、すぐにゼロイチのリニューアルにアサインされました。
それは「何言ってるかわからない」となるのも頷けますね。組織の中で働くことには、ただ楽しくて個人で開発しているのとは違う難しさもあると想像するんですが、このころはどんなことを感じていましたか。
いや、その「読めばわかる事件」からは、めちゃめちゃ没頭しましたね。当時はフロントエンドを担当してたんですけど、フロントエンドのエンジニアが社内に他にいなくて。そこに未経験の私を投入したって、今思うと、当時のCTOは結構すごい判断をしたなって思うんですけど。大きなCMが決まってて、CMまでに全サイトをフルリニューアルしなきゃいけない。なのにほぼ一人でアサインされて。毎日開発する量は無限にあったんですけど、なんか快感でしたね、ゼロイチでどんどんどんどん、ものを作り上げていくのが。


すごいですよね、適応力なのかなんなのか。
未経験だったからこそ、というのもある気がします。自分の中のエンジニアとしての当たり前は、ここで構築されたというか。今思えば普通じゃなかったんですけど。自分にとっては1社目がここで大正解だった。私のことを初心者扱いしないで、リニューアルの一員としてガッてアサインしてくれたし、しかも周りのエンジニアは東大生や高専卒生をはじめ優秀な人たちばかりで、話すレベルも高い。最初は何言ってるのか本当にわかんないことばっかりだったけど、そこに自分の当たり前を持ってこれたっていうのが、 1社目では一番大きな収穫というか、得られたものかなって思います。
その後もこのレベルが基準となって、駆動されていくわけですか。
そうですね。なんか賢くないんですよね。何が起きても、そういうもんだと思っちゃう。それこそ「読めばわかる」なんてそんなはずないのに、そういうもんだと思っちゃってたし。優秀な人たち同士のレベルの高い会話も、そういうもんだと思ってなんにも疑いなく、そこまで追いつくことに必死になれるというか。
変に我流に走ることなく素直に聞けるっていうのは、上達の近道なのかもしれません。
素直に聞けたと言ったらそうかもしれないです。
「仕事がすべて」と言い切れる一年半
そんな理想的な1社目から転職した理由は。
そのフルリニューアルのプロジェクトをやり切って、DMMの本体に異動したんです。そのタイミングで自分が尊敬してた人とか、あこがれだった人が一気に辞めちゃって。自分の中の理想像みたいなものを失ってしまって、そこで自分も辞めたっていう感じでした。
だってあこがれ駆動ですもんね。ウォンテッドリーを拝見すると転職先がメディカルフォースとなっていますが、合ってますか?
この話はあまり載せないでほしい寄りかもしれないですが、一瞬だけ別の会社でCTOをやったんです。でもあんまり経営に向いてなかった。開発が好きなんだってことにそのときに気づいて。で、その直後に本当にタイミングよく、「終活ねっと」を立ち上げたCTOの人が「新しくスタートアップを立ち上げるから、一人目のメンバーになってほしい」って声をかけてくれて。それで創業期メンバーとして入りました。
新卒入社の際は「誰とやるか」が重要だったとおっしゃっていましたが、このときは。
このときは運良く両軸を満たせたなと思っていて。
まず創業メンバーがもう全員尊敬できる人だから。誘ってくれた「終活ねっと」のCTOはここではCEOだったんですけど、そのCEOもそうですし、新しい会社のCTOも、もともと友達関係だったけどエンジニアとして尊敬できる人だったし。社長は初めましてだったけど、ブリティッシュコロンビア大学を出てて、なんかスゲー人だな、みたいな。このメンバーとだったら絶対うまくいくっていう確信があったから、本当に創業の創業のタイミングでしたけど、ジョインすると決断できた。
っていうのと、それとは別に私、めちゃめちゃ医療領域がやりたかったっていうのがあって。その軸でも満たせたって感じです。
「医療がやりたかった」背景も伺えますか。
最初の方で大学を体調不良で辞めているとお話ししましたけど、体が弱くて、病院でお世話になることが多かったんです。そのころから医療業界へのあこがれがすごく強かった。本当は看護師になりたかったっていうくらい。背景はそこですね。
入退院を結構繰り返していたんですけど、看護師さんが毎日必死に面倒見てくれたり、お医者さんがどうにかしようと頑張ってくれたりした姿が、自分にとってはすごく大きなこととして映ったというか。医療ドラマとかでありがちな話ですけど、自分自身がそういう立場になると、本当に尊敬とかあこがれの気持ちって生まれるんだなって思いました。
それは山本さんが純粋すぎるって話のような気もしますけど。入社してからの役割はどういうものでしたか。1社目と比べて違ったのかどうか。
創業期なので、本当に役割分担とかはなくて。役員と私、エンジニアとして開発に携わっていた人が3人いたんですけど、その3人ともが顧客ヒアリングから現場訪問まで、仕様検討から実装まで、もう全部をやっていた感じです。「終活ねっと」のときはDMMからデザイナーが派遣されていたりとかで、結構やることは決まっていたので、何をやるかから考えるのは、メディカルフォースが初めてでした。
医療の専門知識も必要になってくるでしょうし、開発以外にもやることが増えたんじゃないですか。
そうですね。医療ソフトウェアを開発するにあたって必要な、満たさなきゃいけない法律的な条件とかも結構いろいろあったりするんですけど、医療が好きなので、そういうのも全然苦じゃなかったというか。知るのが結構楽しかったですね。


とはいえ、働く量としても相当なのでは?
相当でしたね。エンジニア3人で毎日朝から晩まで一緒にいて、終電で帰って、みたいなのが1年半くらいはずっと続きました。一緒に現場行って、帰ってきて、ホワイトボードで「仕様はどうする?」ってああだこうだ言い合って、やることを決めて、実装して……というのをもうひたすらにやってましたね、創業期は。
だとすると、このころはダンスのことが入る余地は……
正直なかったですね。このときはもう、メディカルフォースが人生のすべてみたいな感じでした。
本当にゼロイチで、何もわかんないところから正しいものを作り上げていかなきゃいけない。お客さまにとって必要なものを作り上げていく、そのために何が必要かっていうのをエンジニア3人で、言い合いになるまでやり切ったのは、その後にものすごく役立ってます。このときの経験があったから、ただ開発をするエンジニアだけではないエンジニアになれたんじゃないかなって。
「ただ開発するだけではないエンジニア」というのは?
お客さまが「欲しい」と言っているものを作るのではなくて、それが欲しいのはなぜなのか、どんな課題があるのかっていうところをしっかりと見つけて、その課題を本質的に解決する機能開発をする、みたいなところですかね。
一方で壁はありましたか。
うーん……あったのかな。どうなんだろう。もうとにかくがむしゃらな日々だったので。医療業界なのでネームバリューが浸透するまでは全然信用してもらえないとか、展示会に行っても「こんな若い人たちが作ってるソフトウェアで大丈夫なのか?」みたいに言われたりもしたけど、でも絶対にのし上がれる自信はあったので。それはたぶん私だけじゃなくて、みんなにあったと思うんですけど。何があっても本当にがむしゃらに、ひたすらにやった。特に最初の1年〜1年半はそういう時期だったかなと思います。
人生のスタイルがガラッと変わった
1年半経って、それがどう変わっていったんですか。
確か1年半で導入200院を突破できたんです。それが結構大きかった。そこからはだんだんと会社として体制が整っていくフェーズに入った気がします。
転職した理由にはそれもあったんですか。
そうですね。まあ3年弱やる中で結構やりきったというか。知らないことが減ってきたというのがあって。「20代のうちにもっと知らないことを知りたいな」って思ったのがきっかけです。
それは具体的にやりたいことがあって、そのために足りないことを知りたいという話なんですか?それとももっと漠然と、「知らない世界のことが知りたい!」という欲求があった?
エンジニアとしてひとつフェーズを進めたかったっていう感覚ですかね。
「次のフェーズ」がどういうものであるのかは、ある程度描けていた?
うーん、描けてなかったからこそ、ちょっと違うところに足を入れた方がいいんじゃないか、っていうのが漠然とあった感じ。言うて大きいサービスがどうやって動いてるのかって想像つかないし、そのための開発をどうやってみんなで回してるんだろうっていうのもわかんなかった。それはここにいたままだと得られないような気がした、っていう感じです。


規模が重要だったとすると行き先は絞られる気がしますが、その中でLayerXに決めたのは。
スタートアップの中でも圧倒的に技術力が高いというのは、この世界にいてすごく耳にしていたし、実際、DMM時代の松本CTOもいらっしゃるし、グノシーの創業をされたふっきーさんの会社でもあったので。「技術力が高い」というのが一番の決め手だったかなと思います。
一応フロントエンドのリード人材なんだけど、バックエンドまで開発する、フルスタックソフトウェアエンジニアという感じで入りました。メディカルフォースではほぼフロントエンドしかやってなかったので、バックエンドも当たり前のように触るのは初めてで、その辺は学びがすごくあります。
うまくいかないことも?
知らないことは多かったですね。自分が今まで触れてこなかった領域、バックエンドやインフラとかそういうのに手を出さなきゃいけなかったので。それこそ「何言ってるかわかんない」みたいなのがまた到来しましたね。
領域の違いもそうですが、すでに積み重なったものがたくさんあるサービスであることとか、チームの規模が大きくなったこととかで生じる難しさもあると思うんです。3人で言い合うのとはまた違ったコミュニケーションスタイルも必要になりそうですし。
おっしゃる通りかなって思います。
率直にその変化はどうでしたか。「難しいな」とか「めんどくさいな」とか、いろいろな感想があり得そうですけど。
そうですね。まあ「やっぱり創業期の楽しさにはかなわないな」とは思いつつも、逆に今は、LayerXに入ったおかげでライフワークバランスも取れるようになったし、それこそダンサーとしての仕事をまたもらえるようになったり、フルートを吹く時間を作れたり、ガラッと自分の人生のスタイルが変わるきっかけになったような気はしています。がむしゃらに仕事だけをするっていうライフステージではなくなったかなって。
これまでの山本さんの歩みからすると、それを「物足りない」と感じてもおかしくないと思ったんですが。仕事以外のこととのバランスを取りたい欲求が山本さんの中にあったということですか?
あったんだと思います。「やっぱ好きなことを大切にしたいな」っていうのが。ずっとそう思ってたわけではないんですけど、音楽にしろダンスにしろ、「自分の時間も大事にしてみたいな」って考えたことが、転職のきっかけではあります。
ダンスの活動を再開して、新しいライフスタイルがもたらした発見はありますか。
「なんかライフステージ変わったな」って実感するのが一番大きくて。「ちょっと自分らしくないな」って思ったりもしたんですけど、今はライフワークバランスみたいなものを大事にできるようになって、自分の人生の生き方とかスタイルも変わった。今までは何でもかんでもまずあこがれの人、尊敬の人。で、そこに向かってがむしゃらにみたいな感じだったけど、今は自分で自分の人生を楽しもうみたいに考え方が大きく変わった感じがしてます。


考え方が変わったのには年齢も関係している?
自分は年齢なのかなと思ってたんですけど。どうなんですかね。
いろいろなケースがありそうですよね。性別も関係する話かもしれないですし、周りにいる人の影響も考えられるなって。
でも、やりきった感は本当にすごくあったんですよね。メディカルフォースで過ごした3年弱って、本当に自分にとっては「青春」っていう言葉に当てはまるもので。人生のすべてを捧げられたっていうのは、すごく実感できていて。そうなったときにもう一回やれるかと言われたら……。メディカルフォースで創業期を実際に経験をしたので、やるとしても、それを超えられなきゃ意味がない。そう考えたら、「超えられないな」って思ったんですよね。働き方とか人生の捧げ方とか、それこそ楽しみ方も。ってなったときに、「次のライフステージに行けるような働き方ができる会社を選びたい」って思ったのかもしれないです。
「キャリアアップは考えなくていい」と気づけた20代
本気でやり切った人の言葉だなって感じました。やり切った感覚がないと、どこか後ろ髪を引かれるというか、「もう一回やり直すとしたら」みたいな発想にもなりそうですけど。本気で青春を駆け抜けた人は、青春への未練がなくなるかもしれない。かっこいいです。
私って結局、好きなことしかできない人間なんですよね。キャリアだけ見たり、こうやって話を聞いてもらったりすると、まるで「できる人」みたいになりがちなんですけど、全然そんなことなくて。とにかく好きなことに没頭する、あこがれの人を追いかけるってことをやってきただけ。たとえば大企業で丁寧にタスクを渡されて、それをこなすことができるかっていったら、できないので。そういうふうにちゃんと仕事ができる人のこと、逆にすごく尊敬してるんですよ。
でも、私は仕事を仕事と割り切ってやることがあまりできないタイプなので、やっぱり自分の好きとか、あこがれとか、そういうのは大事にしていかなきゃなと思います。


ちなみに「何が好きかわからない」という経験をしたことはあるんですか。
うーん……あんまりないかもしれない。
今はそれに悩んでいる人も少なくない気がしますが。
私は逆に「キャリアアップしなくていいんだな」って気づいた気がします。好きなのは開発であって、マネジメントとかが好きなわけではないっていうのを過去の経験から気づいていって。普通の人ってどんどんキャリアアップを目指していくと思うんですけど、私はこの20代、約10年間の経験を通して、そこに気づけたなって思います。好きなことをやる。キャリアアップとか、そっちに目を向けずに、「ひたすら自分のやりたいことを忘れないようにしよう」とは思ってます。
ただ、必ずしもマネジメントに寄らなくても、開発に専念する中でもキャリアアップする道はあるじゃないですか。たとえば、今であれば「AIエンジニアの市場価値は高い」とか。
それを起点に考えることはあんまりないかもしれないです。これは最初の方で言った、「エンジニアになりたいと思って勉強していたわけじゃない」っていうのとすごく関連しているところで。市場価値を上げたいから何かをするっていうよりは、興味があることをやる。それが自然と市場価値が上がることにもつながっていく、という感じ。私の場合は運良く結果がついてくることが多かったかなって思います。
最後にもうひとつだけ。さっき「これからは自分の人生を楽しむ」とおっしゃったんですが、そこだけしっくりきていなくて。だって山本さんは誰よりも好きなことに没頭してお仕事をされているし、ダンスにしても、NPO法人の活動にしてもそうだと思うんです。これが「自分の人生を楽しむ」ことを意味しないのなら、一体何が「自分の人生」なんだろう、って。
どうだろう。そう言われると難しいですね。確かにそのときそのときの自分の生き方が「自分の人生」ではあるんですよね。メディカルフォースをやってたときに「ダンスに時間を割きたい」って思ったことはないし、今は逆に仕事だけをやるんじゃなくて、ちゃんとダンスとかフルートの時間を取りたいなと思ってるし。言われてみると、そのとき生きてる生き方が、そのときの自分の生きたい人生なのかな、とも思います。
となると、この先の30代はどうなりそうですか。
何が起こるかはわかんないですね。弊社ってすごくいろんなライフワークバランスの取り方があって。今の私にとっては、ダンスやフルートと両立できることが理想のバランスの取り方ではあるんですけど、もしかしたら自分にも「家庭との両立を」っていう日がいつか来るかもしれないし。実際に育休から復職して活躍されてる方もいらっしゃるんで、自分も将来そういう道を進んだとしても、やっぱり開発を続けたいと思います。
再び環境を変えることだってあるかもしれない?
うーん、正直な話……はしない方がいいかもしれないですけど、正直、医療をやりたい気持ちはまだあるんですよ、自分の中に。ひとつだけ心残りがあるとするならば、それをやりたい。けど、こんなハイレベルな人材が集まってる会社はそんなにないと思うので。LayerXで学べることは学び切りたいし、「LayerXの美奈子さん」っていうのももっとやっていきたいから。いつかLayerXに未練がなくなったら、また医療の道に進む可能性は全然あるかなって思います。
ありがとうございます。最後に言い残したことがあれば。NPOの活動についてはあまり伺えなかったですし、なにせ情報量が多いので、聞き漏れもありそうですが。
でもだいぶ話せた気はします。今までの経験全部……全部青春だったっていうことを、振り返ってみて自分でも思いました。「全部青春だったな!」って気持ちです。


