catnoseの個人開発者という生き方。自由に、好きなものだけ作った先で、人はなにを思うのか
-
執筆 : 鈴木陸夫
- /
-
写真 : 藤原 慶
- /
-
編集 : 小池真幸
- /
数々のWebサービスをヒットさせてきた個人開発者、catnoseさん。手がけたサービスの人気とは裏腹に、これまであまり明かされてこなかった、その素顔と半生についてじっくり聞いた。
『Zenn』、『しずかなインターネット』、『Nani!?』と、次々にヒットプロダクトを生み出し続ける個人開発者catnoseさん。
彼が生み出すプロダクトに共通するのは、洗練されたユーザー体験だ。デザイン、エンジニアリング、ビジネス設計のすべてがシームレスにつながった、分業ではなし得ないトータルデザインを感じる。
キャリア初期に複数のプロダクトが軌道に乗り、当面の生活に困らないくらいの収入を得たという。それ以降は「好きなものだけ作って生きてきた」。謎に満ちた個人開発者の半生は、誰にでも共感できるものではない。
しかし「別世界の成功譚」と耳を塞ぐことなかれ。
「食うために働く」ことから解放された世界は、より根源的な問いを僕らに突きつける。創造するとはどういうことか。生きる喜びとはなんなのか。理想の人生とはどのようなものなのか、と。
プロフィール
- catnose(キャットノーズ)エンジニア/デザイナー日本を拠点に、個人開発者として数々のWebサービスを世に送り出す。これまでにWebデザイナー向けメディア「サルワカ」、技術情報共有サービス「Zenn」(のちに売却)、日記やエッセイ投稿サービス「しずかなインターネット」、AI翻訳ツール「Nani!?」などを開発・運営。妻と娘、犬と猫とともに、シンプルな暮らしを送りながら、新しい場所をめぐることを楽しみにしている。
良いものを作るために「全部自分でやる」
働き方としては「個人開発」を強く打ち出していますよね。
そうですね。この5、6年はもう、基本的に自分一人でなにかを作って、それが当たればその先で新しいものを作れるし、外したらそのときは就職しようみたいなスタンスでいます。今のところはありがたいことにいい感じに当たっているので、好きなものだけ作ることができていますね。『Zenn』を作ったあとに買っていただいたということがあり、そのときは譲渡先の企業で2年半くらい、普通に会社員をやっていました。ですが、それ以外はもう完全に一人で、受託とかもせずに仕事しています。
完全に個人開発の収入だけで生活できているんですか。
大学時代に知り合いからウェブサイト制作の仕事を受けたことはありましたが、卒業してからは受託はやってないですね。
最初からずっとそうなんですね。それはすごい。
いやいやいや。博打でしかないんで、不安定です。自分でも「なんでこんなことやってるんだろう」と思うときがありますよ。「普通に会社員をやった方が気が楽だし、楽しそうだなあ」ってよく思います。
どうしてそういう働き方を選択するに至ったのか、経緯を伺えますか。


あんまり計画立てては生きていなくて、その時々の思いつきとか気分で行動して、なんとなく今の状態になってるみたいな感じです。その前提の上にまずプログラミングというか、この業界に入るまでの流れを説明すると、大学時代に友達と雑誌を作っていた時期があります。バイトをするのが嫌だから、その代わりみたいな感じで。「せっかくだから企業に営業をかけて、広告費をもらってやってみよう」と言って、一応自分が代表として、藝大生を含む何人かのメンバーを募ってやっていました。
学生が作る雑誌と言っても、本格的なやつですね。
ただ、やっていくと、その藝大生の方が作ってくれるデザインが自分的にはどうもしっくりこなかったんです。「ここ、こういうふうにしてくれる?」みたいにペン入れをしていたら、なんとなく自分でもIllustratorの使い方がわかってきました。そこから一部のページを自分で作るようになり、最終的には全部自分でやった方が良いものができるような気がして、ほぼ一人でやるようになりました。なので、グラフィックデザインとかレイアウトのデザインみたいなところから、今のデザイナーっぽいキャリアが始まった感じです。
「全部自分で」というところに今の片鱗が窺えますね。
その雑誌を引退したあとは、さっき言ったウェブサイトの制作をやり始めました。知り合いの企業の人に「ウェブサイトを作りたい」と言っている人がいたので。ほとんど画像を組み合わせただけの簡単なものだったんですけど、それを作る中でHTMLとかCSSとかを必要に迫られて覚えていって、なんとなくコーディングもかじり出す感じになります。で、本当にいろいろあってまとまりがないんですけど、そのあとは「はてなブログ」を始めました。
ブログですか。
当時はブログブームで、ブロガーとかアフィリエイターと呼ばれる人が、それでお小遣いを稼いでいたんです。その流れに乗ってというか、僕もいろいろと記事を書いてみたのですが、思った以上に書いた記事が伸びたんです。そうするとお小遣いが入ってきて、さらにやる気が出てきて、ちょっとブログの見た目をオシャレにしようとか、「はてなブログ」のテンプレートを作ってみよう、とか試行錯誤を楽しむようになりました。その中でHTMLとCSSにより詳しくなって、JavaScriptもちょっといじり始めて……という感じです。で、ウェブデザインの入門のあたりがなんとなく把握できてきた頃に、普通の企業に就職したんです。
ここまではすべて大学時代の話で、ようやく初めての就職を。
就職したのは結構な大企業で、そこで海外向けのマーケティングをやってました。仕事自体は楽しかったんですが、会社の雰囲気が合わなくて……というか、そもそも社会人が向いていなくて、すぐに「このままだとしんどいな」と思ってしまいました。当時まだブログの収入がちょっとあって、だいたい月10万円くらいだったんですけど、「これを伸ばしていけばいけるんじゃないか」という気持ちで会社を辞めました。
ずいぶん思い切りましたね。
そうかもしれません。その時点ですでに結婚していて、その妻が家事全負担の代わりにパート勤めになっていて、さらに犬も一緒に暮らし始めていたんです。そんな状況で会社を辞めたので、とにかく稼がなきゃっていうプレッシャーがすごかったです。モチベーションがどうとかは言ってられない状況で、そこからがむしゃらにいろいろ作り出すことになった感じですね。


経験がないので詳しくわからないんですけど、「ブログで月10万円稼ぐ」っていうのは結構すごいことなんじゃないですか?
会社を辞めたときは10万円ぐらいでしたけど、ピーク時はもうちょっと稼げていて、普通の会社員の月給くらいはあったと思います。
あ、そんなに。それだけ収入があったら辞めようという気にもなりますね。
運が良かったというのはわかっていたんですけど、そうですね。でも、どちらかというと、ピーク時に結構あったものが会社で働いているうちにどんどん減っていく、それを見ているうちに「これがゼロになったらもう会社は辞められなくなりそうだな」と思った、という方が強かったです。「今ならまだ10万円あって、ギリギリ食ってはいけるし、思い切って辞めてみるか」という感じだったと思います。
会社を辞めることについて、奥さんの反応はどうだったんですか?
僕が犬を飼うことに憧れているのを知っていて、「じゃあ早く犬と暮らそう」と言い出したのも妻だったし、結構度胸があるというか、なにをやるときにも「YES」と言って背中を押してくれるんですよ。会社を辞めると言ったときも「早く辞めたら」「いつ辞めるの?」みたいな感じでした。会社員時代の自分は毎日、憂鬱な感じを出していたと思うので、そういう姿を見るのが嫌というか、もっと楽しそうに生きていてほしいみたいに思ってくれていたのかな、と思います。
「稼ぐのに必死」から、気づけば「暮らしていくには十分」に
会社を辞めたあとはどうしたんですか。
ブログとそこまで違わないですけど、もう少しいろいろと情報を載せて、あまり人格というか個性を出さない感じのウェブメディアを作りました。『サルワカ』という名前のサイトなんですけど。
やっていることとしては、引き続きその中で書ける記事をひたすら書く、という感じでした。ただ、当時の一般的なブログ記事にはお金目的のものが多くって、アフィリエイトリンクとか広告への誘導がすごかったんですよ。反面、内容的にはわかりづらいものが多かったので、逆に「どれだけ時間をかけてもいいから、とにかくめちゃくちゃ内容のある記事を書こう」と思って、1日8時間とか10時間かけて1記事書くみたいな生活をひたすら続けました。


決してお手軽なものではなくて、一般的な会社員と変わらないくらい働いていたわけですね。
会社を辞める前よりもずっと働いていました。そんな生活を1年くらい続けていて、気がついたら『サルワカ』だけで、食えるぐらいの収入になりました。
そんなにうまくいくもんですか。
実際はしんどいこともいっぱいありました。サイト開設後、半年くらいは全然伸びなかったですし。朝起きてパソコンを開いて、ひたすら記事を書いたりウェブサイトのデザイン調整をしたり、毎日その繰り返しでした。起きている間は仕事と犬の散歩、あとは食事とトイレと風呂に入るだけの生活です。半年ぐらい経ってから少しずつ伸びていきましたが、それまではとにかくしんどかったですね。
その後は少しずついろいろなことがうまく回るようになりました。ツイッターで反応を見ると、『サルワカ』のデザインがいいと言ってくれる人が多かったので、「こういうデザインのブログを簡単に作れるWordPressテーマを作ればいいんじゃないか」と思って3ヶ月くらいかけて作ったりもしました。これは結果的に『サルワカ』以上の収入になりました。
なんと!
なのでそこからはもう、好きなものだけ作ればいいというモードになっていきました。そのあと一回スタートアップに就職するんですけど、それは単純に「スタートアップで働きたい」というのが動機でした。たぶん自分一人でやっていた方がお金にはなるけれど、「ワイワイやってみたい」という気持ちがあったんです。1社目でうまくいかなかった会社員にリベンジしてみたいという気持ちもあったと思います。
こちらからインタビューをお願いしておいてなんですけど、キャリアとしてはまったく参考にならないですね。
本当に運が良かっただけで、同じことを今からもう一度やれと言われてもできないなって思います。ブログではなくても、今もどこかに似たような金脈はあるとは思うんですけど。たまたまタイミングよくブログブームに乗っかれたということだと思います。
「ブログブームにタイミングよく乗っただけ」とおっしゃいましたけど、『サルワカ』を始めた2016年って、ブームではあっても「いくらでも稼げる」というピークは過ぎていた気もするんですよね。
当時の心境を振り返ると、なぜそう思ったのかはわからないですけど、とりあえず一人でやろうとは思っていたんです。一人でやれてお金になりそうなものはなにかと考えたら、他に思い浮かばなかった、だからブログだったというのはあります。「ブームだから」とか「このビッグウェーブに乗ってやる」とか、そういうことではなく、もう本当に「これしかない」くらいの感じだった気がします。


「とにかく稼ぐしかない状況だった」と言いながらも、手段を選ばないという感じではなくて、至極真っ当な方法を貫いていますよね。当時は詐欺にも近いやり方で稼ごうとするインターネットメディアも少なくなかったと記憶しているんですが、そっちに流れなかったのはなぜなのかなって。
『サルワカ』で書いた記事にもくだらない内容のものはあったと思うんですけど、叩かれるようなことは確かになかったかもしれないですね。SEOとかもハックするやり方が当時横行していて、やりようはいろいろあったっぽいんですけど。自分はなんとなく、そういうやり方はしたくないなと思っていました。
人を不幸にしてまで稼ごうとは思わない、それくらいなら就職すればいいかと思っていた気がします。
そこがcatnoseさんのプロダクトが長く支持される理由の一つという気もします。
長期的に技術が進展していけば、結局は良いものが評価されるはずだという感覚はあったと思います。良いものを書いていけば、検索順位は時間をかけてでも上がっていくだろうと、そういう期待を抱いてやっていた感じはありました。
プログラムが書けることで、できることが増えていく
「お金には困らない状況」でジョインしたスタートアップは、実際のところどうでしたか?
わちゃわちゃしていて、めちゃくちゃ楽しかったですね。僕が入ったときで、自分を含めて正社員は3、4人とかだったので、なにも整っていないぶん、いろいろと好きにできたんです。最初はデザイナーとして入ったんですけど、ちょっとサービスも触ってみるかというので、コードをいじったり、社内ツールをイチから自分で作ってみたりしました。本格的にプログラムを書くようになったのはこのときからですね。メインでコードを書いているのはバイトの子だったんですけど、そこに混じって、教わりながら書いてました。
ここでプログラミングの楽しさに目覚めたんですね。
もうめちゃくちゃ楽しいなと思いました。それで、じゃあ自分一人でも作ってみるかというふうになっていって、作り出したのが『Resume』というポートフォリオサービスです。
プログラムを書いてサービスを作ることの、どこに一番楽しさを見出していたんでしょうか。人によって面白がれるポイントはいろいろだと思うんですけど。


たぶんコードを書いてること自体が楽しかったんだと思います。書けば書いただけ形になっていく、あの感じが好きです。もともと作るのが好きな性格なんだと思うんですけど、それまでの自分にできることって、主にウェブデザインだったので、その「できること」が増える感じが楽しかったです。しかも、プログラムを書けると一気に作れるものが増えるじゃないですか。「もうなんでも作れるじゃん!」みたいな感じでモチベーションが上がりました。
一般的には、働くことの動機の一つとして「お金を稼ぐため」というのはそれなりに大きなことだと思うんですけど、catnoseさんの場合はこの時点でもう、そこが切り離されていたわけですよね?
切り離され……てはないですね。もうちょっとお金があると嬉しい、とは思ってました。ただ、最悪稼げなくてもまあいいか、ぐらいな感じ。そのぐらいが一番楽しい気がします。絶対稼がなきゃみたいなプレッシャーもなくて、かといって、うまくいったらさらにお金が入る、それぐらいの感じが一番気楽にできていいのかなと思っています。
あまり切羽詰まっていると良いアイデアが出てこない、とかはありそうですね。
……あ、でもどうなんでしょうね。自分はある程度お金に余裕ができてから、そんなにお金になるものを作れていなくて、いつも収入につながらないものばっかり作ってしまっています。『Zenn』は最終的にお金になりましたけど、それは譲渡したからであって、プロダクトとしてお金を生み出すかというと、別にそこまででもないものでした。なので、もっとプレッシャーがあった方がビジネスとしてはいいのかもしれないです。
そのあたりからはもう、「最悪お金にならなくてもいいから、作りたいものを作ろう」みたいなスタンスになってました。ある程度は余裕があるし、ここでさらにお金のためにやっても、仮にうまくいってもちょっと虚しくなりそうって気もしていました。ひたすら好きなものを作って、ワンチャン、ヒットしたら嬉しいみたいな気持ちでやってる感じです。


世に出す前の、企んでいるときが一番好き
次になにを作るかというアイデアは常にたくさんお持ちなんですか?
ありますし、ありすぎて良くないんですよね。生活がおろそかになる感じがします。アイデアリストみたいなメモがあるんですけど、それがどんどん膨らんでるんです。今は『Nani!?』っていう翻訳サービスをやってますけど、他にも「これ、やりたいな」ってものが10個ぐらいあります。なので、いつもつい始めたくなっちゃって、でも既存のサービスについてやるべきこともたくさんあるから、新しく作り始めたい気持ちを頑張って抑えながら生活してます。
純粋に「やりたい」気持ちが尽きないって素晴らしいことですよね。
サービス開発ってギャンブル性があると思っています。ワンチャンうまくいくとめっちゃお金になるみたいなギャンブル性で、その依存症なのかもしれないです。リターンは必ずしもお金じゃなくてもいいんだけど、たくさんの人が使ってくれるかもしれないみたいなことを想像すると、やっぱりテンションが上がります。やってみたい、試してみたいってなりますね。


たくさんあるアイデアの中からどれに着手するかは、どう決めているんですか。
割と適当で、一番テンションが上がったやつをやる、みたいな感じです。テンションが上がることと、ビジネス的にもいけるだろうというのが重なったものを選びます。
テンションが上がることが先で、ビジネス的な整合性はそのあと?
自分は見た目というか、ビジュアル的なイメージを最初に想像することが多いんです。「こういうものができたらいい」という想像をして、そこでまずワクワクするかどうかを考えます。ロジックでももちろん考えるんですけど、最初は「こういうものを作ろう」「こういう機能があって、こういうふうに動いたらすごくいいな」みたいなアイデアからスタートして、それでテンションが上がったら作り出すみたいな感じです。
反対に、逆算しすぎたものは出せずに終わっていたりします。「こういう時代だから、こういうものがうまくいくだろう」「これはお金になるだろう」みたいな感じで作り始めると、途中で投げ出しちゃうことも結構あります。ということで、特に最近はもう、感覚的に作るものを決めがちです。
そうすると『Zenn』のときは。
『Zenn』のときは競合サービスを見て、もっと良くできるなって思ったんです。「これをこうしたら良くなるのに」みたいなアイデアが思い浮かんで、ちょっとテンションが上がりました。
あと、自分はもともとデザイナーっぽい職種だったし、ソフトウェアエンジニアに対する憧れもあったりして、そのど真ん中のサービスをやってみたい気持ちもありました。『Zenn』を作り始めた時点では、まだソフトウェアエンジニアとして駆け出しぐらいの感じだったんです。作るのにたぶん1年ぐらいかけたと思うんですけど、その中でいろいろ覚えた感じです。
その1年はどんな1年だったんですか。
子供が生まれて途中で少し休んでいたこともあって、開発を始めてから出すまでにトータル1年半ぐらいかかったんですけど、本当に記憶の薄い1年でした。もう空白に近い感じですね。
空白の1年。
朝起きてコードを書き始めて、夜までやって。1日12時間とか。ときどき夢の中でも仕事してるぐらいの感じでした。基本一人なんで、打ち合わせとかもほぼなくて、仕事といえばひたすらコードを書くだけ。アウトプットは出たけど、仕事中の思い出が全然なくて、まだサービスを出してもないから、ユーザーからのフィードバックもない。本当になにもない、画面を見てるだけの機械のような1年でした。


見方によっては苦行にも思えるんですけど、なぜそれを1年間も続けられたんでしょう。
さっきも言ったように、自分はコードを書いてるその瞬間が一番楽しいんですよね。なんならサービスとして世に出す前の、まだ社会からも認められてない期間が一番好き、まであります。無限の可能性があるし、自分の好きなようにもできるわけです。それに、「こういうのを作ったら喜ばれそうだな」みたいに企んでるときって、やっぱり楽しいじゃないですか。コードを書いてて「なんかいいのできたな」とか、「この部分の見た目、良くなったな」とか、そういう瞬間が好きなんですよね。
だから、別に1年以上でも全然続けられるというか、むしろ楽しすぎて出すのが遅くなっちゃうみたいなのがよくあるパターンですね。
極論すると、他者がいなくても楽しめるということ?
ただ、「こういうのを出したら喜ばれそうだな」みたいに妄想をしてるのが楽しいので、自分の中だけで完結しちゃうと、たぶんちょっと物足りないだろうなとは思います。最終的にはやっぱり反応がほしいっていう感じではありますね。
採算度外視でも表現したかったこと
最終的には『Zenn』を譲渡したわけですが、手放すことに抵抗はなかったんですか。
それはあんまりなかったです。出してからがしんどいんですよね、やっぱり。使われれば使われるほどしんどくなります。カスタマーサポートもそうですが、開発だけじゃダメになるし、いろいろ必要になるじゃないですか。
確かにそうですね。
『Zenn』の場合はユーザー間のお金のやり取りがあったり、想定していた以上にSNSで話題になったということもあり、いろいろとやることが増えていきました。コメント機能でユーザー同士の議論がヒートアップすることもあり、モデレーションに頭を悩ませることも多かったです。
すぐにこれは一人では無理だな、どうにかしてチームでやれないかな、ってなりました。


その話はのちの『しずかなインターネット』につながるもののようにも聞こえました。
それは実際あります。投稿系のプラットフォームって、サービスの成長を考えると、基本的にはユーザー同士がなるべく交流するように、いろんな感情が出てくるように仕向けるもので、それによって伸びていくものだとは思うんですけど。でも『Zenn』みたいな技術専門のプラットフォームでさえ、ときどきユーザー同士の議論が白熱しすぎていました。その様子を見ているうちに「人間っていうのは距離が近すぎると衝突するもの」ということに気づき、その正反対のサービスをやってみたくなりました。
さっきの話に照らすなら、そういうところから始まって、ビジネス的なロジックと重なるところを見つけられたからGO、となった?
いや、そこはちょっと違っていて。『Zenn』の運営で制約が増えた状態になっていたんで、『しずかなインターネット』はその反動で、お金にならなくてもいいから作りたいもの作ろうみたいな感じでした。
「本当はこういうデザインにしたい」と思っても、もう世に出ているし、ビジネス的にはこっちが正解みたいな制約もあったりして、『Zenn』ではできなかった表現みたいなのがありました。「やりたい欲」がだいぶ溜まってたんで、それらを全部詰め込んだのが『しずかなインターネット』です。だからちょっとお金にならないものを作ってしまったというか、「赤字にならなければいいか」ぐらいで始めてますね。
これまで作ってきたものの中では異質?
そうですね。あんまり仕事としてやるべきものではないですよね。他のものは一応お金になれば嬉しいというか、それで収入を得ることをゴールにやってるんですけど、『しずかなインターネット』だけはそこをゴールにしていません。趣味として完全に割り切ってやってる感じです。
お金のことを抜きにしてまで表現したかったことってなんなんですか。
一つ「これだけ」っていう感じじゃなくて、細かいことの積み重ねではあるんですけど、「気持ちよく文章を書ける」みたいなところが一番やりたかったですね。ストレスなく、気分よく文章を書けて、ノイズがない、といった感じです。それが一番やりたかったことかもしれないです。
catnoseさんのプロダクトを改めて振り返ると、メディアに関連するものが多いのかなと思うんですが、メディア、あるいは書くことに特別な思いをお持ちなんですか。
あるかもしれません。たぶん自分のインターネット体験が「書くこと」から始まってるからだと思います。インターネットの一番の利用用途が「文章を書くこと」だったから、そこをもっと快適にしたいという欲求が結構あるんだろうなって気がします。
文章投稿のプラットフォームは昔も今もいろいろありますけど、どれも基本的には「いかに他人のアテンションを集めるか」という構造にある。その中で『しずかなインターネット』は相当「新しい発明」なのではという気もするんですが、ご自身に「もっと注目されてもいいのに」という気持ちはないですか?
それはあんまりなくて、こんなもんかなって感じではあるんですよね。サービスをいろいろやってると「こうやれば伸びる」というノウハウがわかってきますけど、「あえてそれをやらずにいるのに、なんでこんなに使ってくれるんだろう」って思う方が大きいです。Xとかインスタとか、そっちを使うのが人間の本能としては正しいと思うんですよね。でもありがたいことに、実際には毎日日記を書き続けてくれてるユーザーさんもいます。自分としては意外というか、面白いなっていう気がしてます。


大袈裟にいうと「人間、捨てたもんじゃない」という気持ち?
それもありますね。「アテンションを集める」ということにこだわらず、純粋に「書きたい」という気持ちを優先する人がいてくれて、面白さとともに嬉しさを感じました。なので、そういう人がいるってことがわかった今は、サービス自体の設計を変えるというより、今あるままにもうちょっと広範囲にアプローチすることを考えています。
具体的には英語対応ですね。英語圏だとこの反応はどうなんだろうって気になります。全体から見れば0.1%、0.01%でも、英語圏にまで広げたら、全体としてある程度のボリュームまでいくんじゃないかとも思うので、ちょっとそこを試してみたい気持ちでいます。
このまま人生終えていいのかなという不安
最新プロダクトの『Nani!?』についても少しだけ伺いたいんですが、スマホアプリの開発はこれが初めてですか。
そうですね。
UIへの相当なこだわりも窺えて、なぜ初めてでこれだけのクオリティのものができるのかが不思議なんですよね。他の人ならもっと苦労しそうですけど。どうやって学習しているんですか?
結構苦労はしていると思います。あんまり表に出さないだけで、裏ではだいぶ泥臭いやり方をしてます。試してみて、動かなかったら動くようになるまでやり続ける、基本はそれです。自分が「こういう表現をしたいな」と思ったら、それができるまで何時間、何十時間かけてでも、うんうん言いながらでもやってます。「こんなところにこんなに時間かけてどうすんだ」って自分で思うこともあるぐらい、時間をかけて形にするし、形にできる方法がわかるまで調べています。割と気合ですね。
なるほど。それは確かに会社組織では難しいやり方なのかもしれない。こだわりたい気持ちはあっても、それを許してくれない制約がたくさんあるから。
そう思います。学習という意味でも一人でやっていることの良い面はあって、そうやって一度覚えたことについて、自分で覚えておかなきゃっていうプレッシャーがすごいんですよ。チームでやってると「これについては、この人が理解してるから大丈夫だろう」ってなるところ、「自分でちゃんと理解しておかなきゃ」ってなるんで。なので、その気合いとプレッシャーの繰り返しで知識を入れてきたみたいな感じです。


ここまで一人で開発することの良い部分をたくさん伺ってきたと思うんですが、逆にデメリットや限界を感じているところはありますか。ブログには「30歳になっての心境の変化」を綴られたりもしていましたが。
それはめちゃくちゃあります。やっぱりみんなでワイワイやった方が楽しいと思うんですよね。みんなで「こういうものを作ろう!」って考えて、「何人に使ってもらおう」みたいな目標を掲げて、みんなでそこを目指して、達成して、喜ぶみたいなのが、たぶん一番楽しいんだろうなとは感じています。今は「とりあえずこれは一人で作れそうだな」と思ったから、結果的に一人で作ってるってだけなんです。
一人でやりたい欲があるわけではないんですか。
全然ないですね。「この規模だったら一人でやった方がうまくいくだろうな」と思ってるからそうしてるだけで、今後のことを考えると、どこかで誰かと一緒にやっていきたい気持ちはあります。
自分は来年35になるんですけど、さっきも少し言ったように、やっぱり記憶が淡いんですよ。ずっとパソコンだけ見てるから。その瞬間は楽しいんですけど、めちゃくちゃ楽しいんですけど、「このまま人生終えちゃっていいのか」みたいな感覚もちょっとあるんですよね。だからもうちょっとしんどいことというか、全然得意じゃないこともやっていきたいって思ってます。たとえばお店とか、犬のホテルとか作りたいな、と興味があります。
犬のホテル。
犬と暮らして9年経つんですけど、一日だけ仕方なくペットホテルに預けたことがあって。すごい狭いケージの中に閉じ込められて、迎えに行ったらちょっと精神的に参っていて、戻るまでに1ヶ月ぐらいかかったんです。「もう預けられないな」と思いつつ、でもそうすると、旅行とかに行きたいときに実家くらいしか預ける先がなくて。高くてもいいから安心して預けられて、なんなら犬が家に帰りたくなくなるような、そのぐらい快適な犬ホテルを作ってみたい気持ちがあります。割と今はその資金を貯めるような気持ちでいろいろサービスを作ってます。
不得意なことにも挑戦したいというのは、「ゲームの難易度を上げたい」という話にも聞こえたんですけど。
難易度を上げたいというか、ゼロからゲームをしたいって気持ちはありますね。一旦リセットした環境で、自分の今までの経験とか知名度とかが使えない世界でゼロからやってみたいです。うまくいってる状態が心地よくないんですよね。だからサービスが伸びるとどんどんつらくなってきます。うまくいきすぎてる状態が、なんとなく身の丈に合ってない感じがしてあんまり好きじゃないのかもしれません。ちょっとつらい思いをしてるぐらいが一番ちょうどいいのかなっていう気がしてます。
サービスの拡大に伴って煩わしいことが増えていくという話ではなく、単純に居心地の悪さを感じている?
そのとおりで、居心地が悪いんですよね。『しずかなインターネット』を出したときもXで5000リポストとかいったと思うんですけど、そういう瞬間ってすごく居心地悪いんです。なんなんでしょうね。そこは言語化できてないですけど。
もうひとつ、先ほど「この規模だったら一人でやった方がうまくいく」という話がありましたけど、それはデザインもエンジニアリングもシームレスにやれるぶん、しっかりとしたものが出来上がるという意味で合ってますか?
まさにそれです。自分がこだわりすぎてしまうところがあるので、分業制だと温度差が生じることもあり、細かすぎる部分を含めてプロダクト全体を満足いくクオリティに仕上げるのが難しいなと思っています。他の人は「そんなもんでいいんじゃない?」って思うところが、自分はちょっと許せなかったりするので、妥協ができなくて結局一人でやってるというのはあります。
でも、おそらくこだわり切ったからこそ生まれた部分を世の中からは評価されているわけで。
そうだと嬉しいんですけど……。こだわりが強すぎて、「やっぱりこれ、一人じゃないとできないよな」って気はしたりもするんですよね。でも本当は人と一緒にやるのも好きなので、悩ましい部分ではあります……。
なんでも自分でやれちゃう人には、そういう人ならではの悩みがあるというか。仮にゼロから「別のゲーム」を始めたとしても、結局同じ問題にぶつかってしまうかもしれない。同じ温度感でやれる、いい出会いがあるといいですけど。
自分が思いついたアイデアは自分の中にイメージができてしまっているから、他の人と一緒にやると、やっぱりいろいろ衝突しやすいのかなと思います。だからアイデアを考えるところから誰かと一緒にやるとか、誰かが考えたアイデアを作っていくとか、そういう形だったらまた違ってくる気はします。誰かと一緒にやるときには、一人でやるのとは違うやり方をすればいいのかもしれないですね。
というわけで、今作ってるものと、あと二つぐらい作りたいものがあるんですけど、それを作りきったらどこかに就職してもいいし、誰かと一緒になにかやってもいいし、という気持ちです。犬のホテルをやってもいいなとも思ってます。


