2025年8月27日

燃え尽きたエンジニアは、どこに行くのか。AI時代に学び続ける強迫観念と「回復」の形

  • 執筆 : 友光だんご
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  • 写真 : 藤原 慶
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昨日の知識がすぐに古くなる、まるで終わりのないレースのような現代。たとえ「燃え尽きた」としても、しかし人生は続いていく。その先にある「回復」の形とは?

社会に出てから、常に何かに追われているような感覚がある。SNSのタイムラインには、華やかなキャリアアップや新しい技術についての投稿が。同期は気づけばリーダー職に……学び続けなければ、成長し続けなければという焦燥に駆られてしまう。

AI時代のエンジニアは特にそうだ。次々と新しい開発環境や生成系サービスが登場し、昨日の知識がすぐに古くなる。まるで終わりのないレースのように、日々は続く。「追いつかなければ」という焦りから、気づけば心も身体もすり減っていくようだ。

実はもう、限界は近いのかもしれない。このレースから降りたい自分もいるけれど、一度降りたら、もう戻れなくなってしまうような感覚がある。しかし、たとえ「燃え尽きた」としても、人生は続いていく──。

鹿野壮さん──「好きなゲーム」のようだった仕事が、楽しめなくなった

Ubieのプロダクトエンジニア・鹿野壮さんは、まるで「仕事というより、ずっとゲームをしている」ように働いていた。3日間会社に泊まるようなハードな環境の中でも、技術書をボロボロになるまで読み込み、次第にできることが増えていく。好きなゲームをずっとやりこんでいるような感覚だった。

しかし、プライベートでの大きな出来事が、そんな日々に破綻をもたらした。

1年以上は立ち直れなかったです。周りの人はいろいろと寄り添ってくれたんですけど、私自身が受け入れなかったので。

仕事には1週間とかで復帰したんですけど、感情は無でしたね。無感情で仕事をしてました。パフォーマンスは正直高くなかったと思うし、楽しくもなかった。言われたことをただやっているだけ。

変な話、その頃になると、考えなくてもある程度いろいろできるようになっていたので。そこには技術的チャレンジもなかったし、喜びや感動もなかった。だから「仕事」をやっている状態ですよ。私が嫌いな「仕事」をやっている状態。

無感情な日々から抜け出すきっかけは、「自分の人生を生きたほうがいい」というアドバイスだった。自身の成長の鈍化を感じていたこともあり、初めて規模の大きな会社へ転職し、環境も大きく変えた。そうして自分に向き合い気が付いたのは、「とりあえず一生懸命にやってみる」ことの大切さ。

人生ってやっぱり短いので。好きなことに使った方がいい。好きなこととか得意なこと、自分が一番力を発揮できることに使った方がいい。「やりたくないけど、生活のために無理やりやる」みたいなのって、自分の人生を生きていない気がするので。私は好きなことを一生懸命にやりたい。

その後、2度目の結婚で初めての子どもを授かり、人生観にも大きな変化があった。

これまでは言ってしまえば、ずっと自分のために仕事をしてきたようなもので。そこに妻とか子供とか、あるいはUbieでは病気で困っている患者さんとか、初めてそうやって「人のため」にやっている感覚があります。

しかも、そのための手段は引き続き、自分が大好きなプログラミングという「ゲーム」なんだというところがありますから。そのゲームを自分のためだけにやっているときより、モチベーションがさらに高まっているのを実感していますよ。

「成長を止めるとエンジニアとして死んでしまうという強迫観念」は、今でも消えていない。仕事と家庭・育児の両立という新たな悩みも生まれた。しかし、初めて得た「人のために仕事をする」感覚とともに、鹿野さんは今日も「ゲーム」を続けている。

白川みちるさん──酒に逃げた自分も、肯定する

メルカリで働く白川みちるさんが20代後半で上京し、就職したのは受託開発の現場。当時のIT職は「帰れない」「きつい」「汚い」の「3K」と言われていた。皆でデスマーチを乗り越えていく日々の連続。体は健康なはずのに、ある朝、急に起きられなくなった。

もともと朝早く起きるのは平気な人間なのに、まったく起きれない……というか、起きたくない。で「休みまーす」とか言って会社に行かないことを宣言した途端に元気になる、みたいな。病院に行ったら「いわゆる燃え尽き症候群ですね。しばらくお休みするのがいいんじゃないですか」と言われたので、言われるがまま、3ヶ月くらいかな、お休みさせてもらいました。

記憶をなくしたり、怪我をしたり「本当にダメに、ぐたぐたになるまで」飲んでいたお酒も、このタイミングで一度は辞めた。バーンアウトをきっかけに生活を改善し、考え方や働き方を見直した……と思いきや。

って思うじゃないですか。違うんですよー。人は簡単には変わらない!

いや、私も根本としてはそういう働き方は良くないと思っているし、人にも強制したくない。そうやって生み出されたものってあまり良くない、幸せな状態で作られた方がやっぱり幸せなサービスになるよねという考え方なんですけどね。その後働き方が改善されていったのは、私自身というよりは、時代背景が大きい気がします。

私は自分の過去を反省というか、ダメだったとは思いたくないので、「結果的に糧になった」と思うようにしてます。ああいう環境でやれたからこそたくさん学べた。ものすごく続く緊張感も、あれはあれで自分にとっては良かった。ただ、一般的にはよろしくない。人を壊すぞ!とも思います。

その後の40代は、プレイヤーとマネージャーのあいだで揺れ動く日々。さらに家族の介護や、大学院大学での学び直し、スタートアップでの挑戦、エンジニアコミュニティへの貢献……50歳を超えた今、これまでを振り返って何を思うのか。

「過去の選択を否定しない」というのは、結構意識してやっていますね。「やんなきゃ良かったなー」と思うことは一つもないです。なので、飲みすぎてアル中みたいになったのも、あれはあれで、私にとっては人生のプロセスだったなと思うようにしてます。


「燃え尽きたエンジニアは、どこへ行くのか」

この問いは、AI時代に生きる私たちにとってますます切実さを増している。常に学び続け、成長し続けなければ置いていかれるという強迫観念めいたものは、もはや避けがたく感じる。

けれど、鹿野さんの歩みは、その焦燥と折り合いをつける一つの姿ではないだろうか。「ゲームのように夢中になれる」輝きを一度は失ったかに見えた仕事は、「人のためにプログラミングする」という新たな人生の軸を見つけたとき、再び輝きを取り戻した。けして焦燥は消えていない。しかし、それでも「誰かのために」という動機で、前へと歩み続けることができている。

一方の白川さんは、燃え尽きた自分も、酒に逃げた自分も、過去をすべて否定しない。「アル中のようになったのも人生のプロセス」とすら言い切る姿は、「改善」や「成長」という言葉ともまた異なる回復の形だ。自分の弱さを含めてすべて引き受けて肯定することが、また次なる一歩を生むのだろう。

そう、二人の人生から見えてくるのは、「燃え尽きても人生は続く」という事実だ。焦燥や挫折を回避して生きていくことは難しいが、そのあとにまた立ち上がることはできる。その事実は、現代を生きる私たちにとっての小さな救いになると言えないだろうか。

執筆 : 友光だんご
写真 : 藤原 慶