2025年4月30日

エンジニア鹿野壮の「趣味のようだった仕事」が破壊され、再生してゆく物語

  • 執筆 : 鈴木陸夫
  • /
  • 写真 : 藤原 慶
  • /
  • 編集 : 小池真幸
  • /

Web制作会社やスタートアップを経て、現在はUbie株式会社で働く鹿野壮さん。「趣味のように」仕事をしてきた半生には、思わず壮絶と形容したくなる破壊と再生の物語があった。

エンジニアは一生勉強しなければならない職業だと言われる。絶え間なく進化する技術、その扱い手である以上、それは間違いないことのように思われる。息を吸って吐くようにそれができたなら、それこそが適性なのかもしれない。

Ubieのプロダクトエンジニア・鹿野壮さんは、その意味では「エンジニアに向いている人」だったのだろう。キャリアを通して「仕事というより、ずっとゲームをしているような感覚」。過去4度の転職も「自分にできることを増やすため」の積極的選択だったという。

鹿野さんは書籍執筆、寄稿、イベント登壇などアウトプットに積極的なことでも知られるが、本人からするとそれも「趣味のようなもの」。技術への感動が自分を動かし、その感動を伝えずにはいられないから筆をとる。書くためには勉強せざるを得ず、また「できること」が増えていく。

しかし、どれだけ仕事に前向きだったとしても、それだけでは完結しないのが人生だ。公私は裏表、というより本来そこに境目はなく、歯車は意外な形で狂いもするし、再び回り出しもする。インタビューから浮かび上がった鹿野さんの半生は、そのことを強く感じさせるものだった。

プロフィール

  • 鹿野壮
    Ubie株式会社 プロダクトエンジニア
    九州大学芸術工学部音響設計学科を卒業後、Web制作会社など複数社にてWebページ制作やモバイルアプリ開発に携わる。​現在は、Ubie株式会社でプロダクトエンジニアとして働いている。勉強会・技術SNS・Twitterなどで積極的に技術情報を発信中。CSS Nite 2017〜2019ベストセッション受賞。TechFeed Proプロダクトアドバイザー・公認エキスパート。

「好きなことならやってあげてもいいけど」

すごくいろいろ読んでもらってるみたいで。ありがとうございます。

そうですね。すごくいいと思います。情報発信でないとすると、やはりそれかなと。

もともとのもともと、スーパーウルトラもともとまで遡ると、中学生くらいのときに祖父がパソコンを買ってきて、「お前触ってみろ」と言われて触り始めたのが最初ですかね。

いえ、まったく。農家ですからね、実家は。福岡でも南の方の、熊本との境にある田舎で。周りはもう田んぼだらけ。だから祖父の仕事とは何の関係もないんですけど、確か「これからはパソコンを使いこなさければいけない」みたいなことを言っていた気がします。「俺は使い方がわからないから、お前が覚えろ」みたいに。

結果的にそうなりましたね。当時はHTMLとかCSSを使って、自分のホームページみたいなものを作っていました。それが流行っていたんです。BBSとかキリ番とか、今「インターネット老人会」と呼ばれる界隈で言われているようなことが。

特別に何かを発信するとかではなかったですね。自分の日記を見られるようにするとか、掲示板を作るとか、その程度で。コンテンツみたいなものは特になかったんじゃないかな。単純に作ること自体が楽しかったんだと思います。

そうですね。そういうのが面白かったです。

月並みですけど、音楽が好きだったから。

その頃に思っていたのは「働きたくない」ということでした。これは今にも通じるところがあるんですけど、本当に働きたくないなって。それでも社会に出ろと言うのなら、せめて自分の好きなことをやって生きていきたい。好きなことであればまあやってあげてもいいかな、くらいの感じで生きていました。

基本的には技術者です。周りは明確に目的を持って入ってくる人がほとんどでしたね。だから相当浮いてました。4年になって進んだのもメディアアートの研究室だったので、異端も異端ですよ。

でも、やってみるとこれが結構楽しかったんですよね。パソコンでぱちぱち打ち込むと、画面上でアニメーションがバーっと動く。本当にゲームをやっているような感覚、遊んでるみたいな感覚で。そういうメディアアートの作品を作れば長々と卒論を書かなくていいと言われて、「おっしゃ、これだ!」と思って。コンテンツを作り込んで、それを出して卒業しました。

人生を変えたかったら環境を変えるしかない

正確に言うなら、ウェブの制作会社です。当時はFlashがすごく流行っていて、どこのウェブ制作会社もだいたいFlashを作っていたから、そう言っても間違いではないかもしれないですけど。

就職するとなったときも変わらず、やっぱり「働きたくない」と思っていました。大学を選ぶときと一緒で、どうしても働かなきゃいけないのであれば、せめて好きなことをやろうと。

Flashの作品をたくさん作っていらしたクリエイターの中村勇吾さんの『プロフェッショナル 仕事の流儀』出演回を見て、「かっこいいな」「私もこういう仕事をやってみたい」と思いました。大学でやっていたメディアアートのようなことにも通じるし、それでFlashができるウェブ業界に進んだというのがキャリアの最初です。

結構人生に絶望していたんですよね。10代だし、いろいろな家庭の悩みなんかもあって。今考えるとしょうもないことばかりなんですけど、塞ぎ込んでいて。めちゃくちゃ暗い人生でした。

母親とはすごく仲がいいんですけど、父親との仲がスーパー悪くて。母親はすごく農業を頑張っているのに、父親はぐーたらぐーたらだらけている。祖父母と父親の関係が良くなかったというのもあって、自分が親になった今ならわかるんですけど、あまり家庭環境が良くなかったんだな、と。

高校ではすごく仲の良かった人がいじめられて不登校になったりもして、一生懸命、真面目にやっている人たちがなぜこんなに虐げられなくてはならないのか、人生って頑張った分だけ損をする虚しいものなんだ、みたいな思想になってました。早く人生終わらないかなみたいに思ってましたね。だから働きたくもなかった。

大学時代とか社会人の初めの方に、いろいろと打ち明けられる友達関係ができて、自分でいうのもなんですけど、徐々に明るい性格になっていきましたね。人付き合いの大切さみたいなことも学んで。

ああ、そう考えると一人暮らしを始めたことが大きかったかもしれないですね。父親との関係が本当に最悪だったから。父親という、自分の一番のストレスポイントから離れた環境を手に入れたのが大きかったのかもしれない。

やっぱり環境ってすごく大事だなと思うんですよ。自分の意識や考え方も、環境が変わることで変わっていく。この後お話しすることになると思うんですけど、私の転職の動機って全部「成長したい」なんです。成長するには、環境を変えるのが一番なんじゃないかと思っているから。

よく「環境に振り回されることなく、メンタルで乗り越えていけ」みたいなことを言われますけど。私はそういうことができないので。人生を変えたかったら環境を変えるしかない。そういうことをこの時期に学びましたね。

ハードに働きレベルアップ。まるでゲーム

Flashがやりたいと思って入った会社でしたけど、最初はなかなかやらせてもらえなくて。実際はHTMLとCSSとWordPressを使って簡単なコンテンツを作って、みたいなことをやっていました。

「中学生のときにやっていたから、まあできるだろう」と思っていたら、これがもう全然できなくて。クオリティが低いだの仕事が遅いだのと、結構怒られましたね。

別物だったし、中高でやったあと、しばらくは触れていなかったので。

どちらかというと悔しい気持ちの方が強かったですね。「一応作ってきた人間だから」みたいなプライドがやはりあって。「負けてたまるか」と思いながらやっていたところがあります。

ああ、それは2社目ですね。広告代理店からの受託開発のようなところで、そこはすごく忙しくて大変でした。3日間会社に泊まるみたいなのも普通でしたし、深夜12時から会議をして何かやりましょう、ということもありましたね。今ではおそらくコンプラ的にNGだと思いますけど。

でも、私にとってはすごく良かったんですよ。ハードで、短納期だけれど高クオリティを出さなければいけないという働き方が。それが今の礎になっています。ああいうハードな日々があったから伸びたと思います。

2社目のオフィスは当時、築地にあった。よく昼食をとっていたという、パスタが絶品の喫茶店は健在

それまでFlashがすごく流行っていたんですけど、そこにiPhoneなどが出始めて。FlashのようなリッチなコンテンツをiPhoneでも動かせるように、HTML化するニーズが高まっていた時期でした。

でもそのためには単純なLPのようなものを作るのとは違って、すごくいろいろなコードを書く必要があります。JavaScriptなどの技術も今ほどは進化していないから、貧弱なAPIを使ってリッチなことをやらないといけない。

そういう難易度の高いことをやろうとすると、自分が今持ってる技術だけでは絶対に足りないんですよ。一方で受託開発という立場もあって、先方から指定された期日は絶対厳守。限られた時間でいろいろと調べて、「これはこうやってやるのか」「こういう別のやり方もあるんだ」というのをすごく早いサイクルで学んで成長しないと、ゴールを達成することができなかった。そういう強制的に成長せざるを得ない環境だったのがすごく良かったなと思います。

周りに聞ける人はいなかったから、自分で自分を開拓していく必要がありました。当時はjQueryという技術を使っていたんですけど、「ドーナツ本」と呼ばれる有名な書籍を穴が空くまで読み込みました。本当にボロボロになって、2冊目まで買って。

楽しかったですね。本当にゲームをしている感覚なんですよ。いろいろ調べてプログラムを書いて、それが自分が思ったように動いて、できることが増えて、みたいなことが。仕事をしているというより、好きなゲームをずっとやりこんでいるみたいな感覚。

観光客で賑わう築地場外市場は、当時のオフィスのすぐそば

作る工程そのものが楽しかったですね。正しいエンジニアは作った成果、品質に対して責任を持たなければならないものなんでしょうけど。私はその過程が楽しかった。

「こういう機能を作りたい」「こういう形状を作りたい」というときにはまずプロトタイプを作るわけですけど、作り込んでいく前の、その簡単なプロトタイプを作るという過程もすごく楽しかった。ああでもない、こうでもないと言いながら、技術検証していく過程も。当時はむしろ、そっちの方が楽しいと感じていたかもしれない。

アウトプットで一番得をするのは自分

単純に高いレベルを目指したいという気持ちでしたね。いや、もといた会社のレベルが低いというわけではないんですが、転職したICSは、Flash業界でも有名な3人が立ち上げた会社だったので。勉強会にもかねてから参加していて、「すごいな」「勉強になるな」と常々思っていました。

それがちょっと面白くて、2社目にいた先輩に「ICSに入りたいんですよね」と相談したら、「だったらまず社長に会いに行け」「一緒に飯食ってこい」と言われて。実際にその通りにして、そこから選考に乗って、試験に受かって入れたという感じです。

イベントなどで多少面識はあったのと、あとは気さくな方だったから。

先輩の意図としては、レベルの高い会社だから普通に選考を受けてもあまりインパクトを残せない、だから直接会いに行ってアピールしてこい、ということだったと思います。本当は「プレゼン資料を持っていけ」とも言われたんですけどね。さすがにそこまではできなかったです。

すごく良かったですね。めちゃくちゃ楽しかったですし、学びにもなって。成長できたと思います。キャリアの中で一番長くいた会社でもあるので。居心地も、成長面でもすごく良かったです。

全員が開発者という会社なので、周りに自分と似たことをやっている人が多くて。技術の議論とかもかわせるし、そういうところにはやはり違いがありました。

あと、人数が少ないと全員と仲良くなれるのもいいところでしたね。人数が多くなればなるほど、会社の中にも知らない人、全然絡まない人が出てくるじゃないですか。ICSは私が入社した時点で7人目とかだったので、もう全員が友達みたいな感じ。そういう一体感がありました。

そうです。最初は会社に言われて、渋々書いてましたね。渋々というのは、ネタはないし、自分が書いた記事なんて絶対に面白くないと思っていたので。書けと言われて書くのは結構大変なんですよ。

やっぱり数をこなしたからなのかなと思います。嫌々ながらでもやっていると、やはり反響があるじゃないですか。「この記事面白かったです」とか。

あと、これは登壇もまったく同じですけど、自分が一番得をしている感覚がすごくあったのが大きかったと思います。記事を書くにしても登壇するにしても、アウトプットで一番得をするのは自分自身だなって。

アウトプットするためには、その内容について自分自身が一番理解していかなきゃいけない。だから何かを生み出そうと思ったら、それについてめちゃくちゃ調べることになる。粗はないかとか、こんなツッコミは来ないだろうかとか、これって本当だっけ、とか。

そうやって調べていく過程で、自分の知識がどんどん増えていくのを感じたんです。そこで自分の成長を感じることができた。「アウトプットってすごく自分を成長させてくれるんじゃん」みたいなことを思いました。

ああ、確かに。そこは共通しているかもしれないですね。

仕事が「ただ金を稼ぐための作業」になった日

うん、この頃もやはり変わらず作ることが楽しいな、と思っていましたね。それに加えてアウトプットってすごく楽しいなと思い始めたのがこの時期で。ICSを卒業する頃には「アウトプットは趣味」と言えるくらいになっていましたね。

感動してしまうんですよね。「この技術面白い!」とか「このアップデートで自分の仕事がめっちゃ楽になる!」とか。その感動をそのまま発信しているので。それこそ仕事ではなく、趣味になっている。

さっきも言いましたけど、そうやってアウトプットすると自分の理解がより深まるし、読んだ人も喜んでくれる。そうするとそこから声がかかって、また新たなアウトプットのきっかけにもなる。というように、どんどんループしていくんです。だからアウトプットは楽しいんですよ。

それは全然ないです。全部お呼ばれして行っているんで。記事を読んだ人から「登壇してみませんか」と連絡がきたり、登壇が登壇を呼んだり。

やっぱり「楽しくないと」というのが根底にあるので。アウトプットをするのも楽しいからだし、仕事をするのもそう。クライアントワークも楽しみながらやっていましたし。やっぱり「楽しい人生にしよう」というのが大元にありますね。

あー、ただ、私はICS時代に一度、メンタルをぶち壊したりもしていまして。

プライベートの出来事なんですけど、結婚相手に不倫をされてしまって。品川に新築戸建てを建てて、入居した1週間後に妻が出ていった、それで仕事ができなくなってしまったということがありました。

今いる会社でも笑い話にしているので、全然大丈夫ですよ。

ICSに入社して5年目か6年目にそういうことがあって。「すみません、ちょっと会社には行けません」と言って行かなくなったことがありました。あの頃を境に結構人生観が変わりましたね。

それまでも仕事が大変だったり、アウトプットに対して変な誹謗中傷があって悩んだりしたこともありましたけど。この時のプライベートの破壊に比べれば、どれも屁みたいなことで。

付き合って1年で結婚して、10ヶ月目くらいに家を建てて、1週間経たずに出て行かれて、実は不倫してましただなんて、我ながらすごい話だなと思います。

人間不信にはそこまでならなかったんですよ。不倫されていたことがわかったのは出て行かれた後だったから。その時点では「自分が何か変なことをやらかしてしまったんだな」と思ってました。自暴自棄というか、すごく病んでいましたね。

家は1年経たずに売ってしまって、300万円くらいの赤字。ちょうどその頃に不倫の証拠が見つかって、「ああ、不倫してたやんけ」と思って、全部捨てて新居に引っ越しました。

1年以上は立ち直れなかったです。周りの人はいろいろと寄り添ってくれたんですけど、私自身が受け入れなかったので。

仕事には1週間とかで復帰したんですけど、感情は無でしたね。無感情で仕事をしてました。パフォーマンスは正直高くなかったと思うし、楽しくもなかった。言われたことをただやっているだけ。

変な話、その頃になると、考えなくてもある程度いろいろできるようになっていたので。そこには技術的チャレンジもなかったし、喜びや感動もなかった。だから「仕事」をやっている状態ですよ。私が嫌いな「仕事」をやっている状態。

それまでは自分にとって、仕事というのは本当に趣味と変わらなかったんです。常に楽しかったし、仕事という名前の好きなゲームをやっている感覚。なのにお金までもらえるみたいな。

そういう状態から初めて「仕事」になった。お金を稼ぐために「別に楽しくはないけど言われたことをやってます」みたいな感じになっていました。

相手が不倫していたとわかって、スーパーブチ切れ状態になって。「何かしら相手にやり返してやる!」みたいに当時は思っていました。

で、裁判をするしかないと思って弁護士さんに相談したんです。そうしたら「してもいいけど、時間がかかるし、お金も取れないよ」と。「それよりは高い勉強料だと思って諦めて、すっぱり忘れて自分の人生を取り戻した方がいい」と言われて。

そこでふと「自分の人生を生きるか」というふうになりました。そうして通常通りの生き方に戻った感じですかね。そこからはもう「あれより辛いことはねえや」という達観ですよ。

とりあえずやってみる。向いてないなら、人生から除外する

ICSには7年いたんですけど、7年もいると大体のことはできるようになってしまう……というとすごく調子に乗った言い方になってしまいますが、成長が鈍化しているという気持ちがありました。それでちょっと環境を変えないと、と思ったんです。

何社か受けた中で、一番人も良さそうだったし、あとは単純に私自身がマネフォのヘビーユーザーだったので、入って貢献してみたいと思いました。

好奇心の方が大きかったですね。ずっと小さい会社にいたので、一度でかい会社に行ってみるのも楽しいんじゃないか、自分の幅が広がるんじゃないかと。

それはもちろんありました。本当にガチガチの組織みたいなところにいたことがなかったので。向いていない可能性は当然あるなって。

でも、その辺りに関しては私なりの持論があって、適性というのも確かにあるのかもしれないけれど、私としてはそれ以上に「とりあえず一生懸命にやってみる」ことが結構大事だと思っているんです。

ブログを書くのも最初は本当に嫌だったんですけど、それでも当時の自分なりに一生懸命にやりましたし。そうやって一生懸命頑張ってやると、勝手に好きになっていく。愛着とかが湧いてきて、良いループが生まれていくみたいなことがあると思っていて。

逆に言えば、それでもうまく行かなかったり、気持ちよくなかったりしたら、それはマジで適性がないということだから、諦めた方がいいくらいに思っているんです。

人生ってやっぱり短いので。好きなことに使った方がいい。好きなこととか得意なこと、自分が一番力を発揮できることに使った方がいい。「やりたくないけど、生活のために無理やりやる」みたいなのって、自分の人生を生きていない気がするので。私は好きなことを一生懸命にやりたい。

だから苦手なことでも、とりあえず一生懸命にやってみる。どこかのタイミングで好きになって、楽しいと感じるのであれば、そのまま続ける。楽しくなかったり成果が出なかったりして「これはやっぱり違うな」と思ったら、そこでもう捨てる。そういうことを結構やっていますね。

ずっと受託でやってきて、自社プロダクトを作るというのは初めてだったんで、そこは結構な違いでした。自社製品に対する愛着とか誇りのようなものは、すごく持てるようになりました。「自分たちの手で最高のプロダクトに磨き込んでいこう!」みたいな気持ちがすごく芽生えましたね。

一方で、途中からは管理職になったんですけど、そっちはまあ辛いことが多かった。マネフォという会社自体は大好きでまったく不満はなかったのですが、とにかくマネジメントという仕事が向いていないと感じていて。

自分より技術のある人が部下になるとか、なかなかチームに馴染めてないメンバーをどうモチベートしていくかとか。当然ですけど、そういう開発以外のことをやる時間がすごく増えて、非常に「仕事」をしている感覚でしたね。繰り返しにはなりますが、マネフォの悪口を言いたいわけではないんですけど。

マネフォには3年間いたんですけど、3年間の結論として、自分のやりたいことはマネジメントじゃないんだとわかった感じです。年も年だし、管理職みたいなことをやらなきゃなと思ってやってみたんですけど。合わなかったなあというのが正直なところです。

別に嫌いではないんですよ。メンバーが成長していくのを見るのもすごく好きですし。

でも、一日の大半が会議で過ぎてしまうというのはちょっと違うな、と。しかもその会議というのはプロダクトを進めるための会議ではなくて、人とか組織の方向性を決める、給料を決めたり評価したりする会議なので。そうするとどうしても「いや、これは私のやりたいことじゃない。別にマネジメントがしたくてこの仕事をしているわけじゃない」と思い始めてしまう。

作り続けることが自分の人生の目的、作ることを限界までやりたいというのがやはりあるので。クリエイターとしての自分を人生の中心に置いておきたい。マネジメントも好きなんですけど、それがメインになってしまうと、人生の主題からずれてきてしまうから。

自分の人生を何に一番使いたいかと言ったら、やっぱり自分のテンションが一番上がることだなって思うんです。人は皆いずれ死ぬ。そう考えたら、嫌なこと、嫌いなこと、つまらなかったことに時間を使いたくないというのがあります。

誤解されないように言っておくと、これは別に「与えられた仕事だから嫌」という話ではないんです。与えられた仕事をいかに自分ごととして好きになれるかは、むしろすごく大事なことだと思っているので。どんな仕事であれ、自分のやりたいことだと心から納得してやれることが大事。逆に言えば、そう思えないものは人生から除外すべきだと思っています。

「生きることとか命ってすごく大事だな」

そうですね。そこが大きかったかなと思います。

もうちょっとだけ裏話をすると、私はもともと外資系に行きたかったんです。ミーハーなので「外資系のエンジニアってかっこいいな」みたいなことをずっと思っていた。

マネフォに入る前からそうで、外資系に行きたかったんですけど、でも英語力には自信がない。その点、マネフォも結構英語をやる環境だという話があったので「在籍しているあいだにTOEICの点数を上げたら、いずれ外資系に行けるかも」という考えがありました。

で、このタイミングで外資系企業を受けたところ、内定をもらえたんですよ。それ以外にアクセンチュアの開発組織とメルカリも受けたんですけど、それも受かって。しかも、その三つはいずれも向こうからのオファーだったんです。外資系は転職エージェント経由でオファーが来たし、メルカリは仲の良かった採用担当の人経由で。

そんな中、唯一自己応募だったUbieに行くことにしたんですけど。

Ubieはもともと自分の中では第三希望だったんです。でも、一度オフィスへお邪魔したときに、代表の言葉や開発メンバーの雰囲気にすごく感動してしまって。「自分が成長できるのはここだ!」と思ってしまった。

Ubieは「テクノロジーで人々を適切な医療に案内する」ということを掲げているんですけど、端的に言えば、それがいいなって。

自分はこれまでもいろいろなものを作ってきていて、それも確かにユーザーを喜ばせる、クライアントを喜ばせるというものではあったんですけど、Ubieがやっているのはテクノロジーを通して人の命を救うこと。そこがすごくいいなと思ったんです。すごく刺さったというか。

2度目の結婚をして、ちょうど子供ができたくらいのタイミングだったので。死生観のようなものが結構変わったというか、子供の未来を作ってあげたいと思うようになっていました。

先ほどメンタルがぶっ壊れた話をしましたけど、あの頃はぶっちゃけ、「もうこれ以上生きていくのはつらい」とまで思い詰めていました。そこからなんとか復活して「命あってのことかなあ」「生きてりゃなんとかなるよな」と思うようになって。

……なんだか取り止めのない話になってきて申し訳ないですけど、「生きることとか命ってすごく大事だな」と思うようになったんです。お金とか地位とか名誉とかよりも、自分の大事な人が当たり前に生きていることが、自分の人生においてはすごく大事だなって。

そういうタイミングで代表の言葉を聞いて、自分のやっている仕事を通して命を救えるのであれば、それは素晴らしいことだなと思いました。それをこの人たちは本気でやっているんだというのも伝わってきたので。

子供が生まれた今も毎日感じているんですけど、もう生きているだけでありがたいと思えるんですよね。お金を稼ぐとか、いい大学に入るとか、大人はどうしてもそういうものが大事だと思いがちなんですけど。何もしなくても、生きているだけで素晴らしいと思える。そういうふうに価値観が変わって、人々が楽しく生きられる社会になったらいいなと思うようになりました。

成長の面で言うと、単純にスーパーエンジニアがいっぱいいたというのがありますね。レベルの高い、私でも名前を知っているような人がたくさんいたので。「この人の記事、いつも読んでるわ」というのもあったし、質の高いアウトプットをしていたので、「この人たちと一緒に働きたいな」と思ったのがあります。

あとは、私はウェブ業界でもフロントエンジニアと呼ばれる、画面を作ることを主にやってきたんですが、Ubieではフロントだけでなく、バックエンドやアプリ、最近であればAIなど、いろいろなことを垣根なくどんどんやることを求められる。やらざるを得ない環境です。

フロントエンジニアは、言ってみれば自分にとってのコンフォートゾーン。そこを抜け出してフルスタック寄りのことができるのはいいな、そこにチャレンジしてみたいなと思いました。

成長を止めるとエンジニアとして死んでしまうという強迫観念もありつつ、ですけどね。やっぱり成長を実感したときにすごい喜びを感じるんですよ。「前よりいろんなことができるようになったなあ」とか、そういうことに喜びを感じる。成長の喜びを知っているから、より成長したいというふうに思う、そういう感じでしょうか。

仕事と家庭の両立。焦りと苦しみの中で

めちゃくちゃあります。そこがまさに今すごく悩んでいるところで。「悩んでることを話されてもなあ」と思われるかもしれませんが、本当にありのままを言うと、仕事と家庭の両立で正直めちゃくちゃ苦労していて。

今までは夜遅くまで好きなだけプログラミングをやって、朝も遅く起きて、土日もずっとやってみたいな人生でした。でも、子供が生まれたことでマジでそれが180度変わってしまって、そんな生活はできなくなった。当然ですよね、朝早く起きて子供の世話をして、夜は子供をお風呂に入れて、一緒にご飯を食べて、みたいなことをやっているわけですから。

特にしんどいのは、私の場合は夕方くらいになってノってくるんですよ。そのノッてきたところで育児がきて、バツンと分断されるので……。

AIを始め、いろいろな新しい技術がどんどん進化していっているじゃないですか。そんな中、24時間自由に使えるエンジニアたちとは違って、自分には時間制限がある。いや、他人と比較することはあまりしたくないんですけど、でも自分の今までの働き方と比べても。正直に言って焦りはありますよ。悩み、苦しんでいるところではあります。

時間の使い方を根本的に見直さざるを得ないですよね。ちぎれた時間の中で、いかに集中してアウトプットするか。無駄な時間をいかに削ぎ落としていくか。そういうところをいろいろと改善していっているところです。

家のことは基本的に妻に任せて、自分は仕事に専念して、という役割分担にすればうまく回るのかもしれませんが。でもそれはやりたくないと思っているので。

子供はやっぱりかわいいし、大事にしたい。愛情を注ぐことが子供の将来にとっては一番いいことだと思っているので、土日にはちゃんと時間をとるし、毎日のお風呂やご飯も一緒にやる。その時間は削りたくないと思っています。

まあでもモチベーションは上がりましたよ。子供とか家族とかという守るもの、大事にするものができたので。

これまでは言ってしまえば、ずっと自分のために仕事をしてきたようなもので。そこに妻とか子供とか、あるいはUbieでは病気で困っている患者さんとか、初めてそうやって「人のため」にやっている感覚があります。

しかも、そのための手段は引き続き、自分が大好きなプログラミングという「ゲーム」なんだというところがありますから。そのゲームを自分のためだけにやっているときより、モチベーションがさらに高まっているのを実感していますよ。

執筆 : 鈴木陸夫
写真 : 藤原 慶
編集 : 小池真幸