燃え尽きた自分も、酒に逃げた自分も。20年のエンジニア人生を肯定して拓く、白川みちるのこれから
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取材・執筆 : 鈴木陸夫
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撮影 : 藤原 慶
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編集 : 小池真幸
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LINEやメルカリなどでプレイヤー/マネージャーを行き来して活躍しながら、社外のエンジニアコミュニティでの活動にも積極的な白川みちるさん。ハードワーク、バーンアウト、飲みつぶれた日々、介護、学び直し……あまりに分厚いエンジニア人生20年を肯定し、50代を切り拓く。
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およそ経験できることはすべて経験してきたのではないか━━。白川みちるさんの半生は、そう思えるくらいに濃密なものだ。
やりたいことが見つからず、職を転々とした20代。
受託開発のハードな働き方に、燃え尽き症候群に陥った30代。
華やかなキャリアを歩みつつも、プレイヤーとマネージャーのあいだで揺れ動く40代。
さらには家族の介護。大学院大学での学び直し。スタートアップでの挑戦。エンジニアコミュニティへの貢献。ゲームや推し活、ファッションなど、プライベートを楽しむことにも妥協がない。
「自分の技術力には常に自信がなかった。それは50歳を越え、昨年10月にメルカリに出戻った今もそう。この先も『これで十分!』と思える瞬間はやってこないと思う」
そう語るみちるさんはしかし、なぜこんなにも楽しそうにエンジニアを続けていられるのか。2時間のインタビュー、たった1本のウェブ記事で振り返るにはあまりに分厚い、白川みちるの「これまで」と「これから」。
プロフィール
- 白川みちる株式会社メルカリ Work Sales Operation DesignEngineering Manager、Project Manager、Backend Engineerなどの経験を経て、職業人としての人生を“必要とされるエンジニア”として締めくくりたいという目標を持つようになりました。現在は今まで培ってきたエンジニアリングの知識・技術・経験をもとに、日々仕事を楽しんでいます。また、プライベートでは大好きな技術であるGoコミュニティの運営に長年携わっています。
就職活動は「ほぼ門前払い」
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ロールモデルとして、みちるさんより先を行っている人はあまりいないですよね?
いなかったんですよねぇ。
なので、後に続く人が自分の人生を考えるヒントになる記事にできたらと思っています。とはいえ、ざっと予習しただけでも情報量が多すぎて。ちゃんと聞き切れるかどうか……。
社会人人生が長すぎるから。人より情報量が多くなってしまうんでしょうね。
社会人人生のスタートはエンジニアではなかったんですよね。
大学は商学部だったので、エンジニア職になるというルートは見つからなかったですね。あとはちょうどロスジェネ世代、就職氷河期のはしりのころなので、とにかく就職ができなくて。どういう仕事をしたいとか、こういうところで働きたいという思いも特になく。雇ってくれたところに行くという感じでした。
「ルートがなかった」というのは、本来であればエンジニアになりたかったということ?
いや、もう何も考えていなかった。就職活動をすると言っても、ほぼ門前払いなので。当時はハガキを書いて資料を請求して、それを書くことでエントリーできるという時代なんですけど、そもそもその資料すら送ってもらえないんですよ!
やはり当時は、「女性だから」という要因もあった?
そうです。親戚にも「女の人なのに、なんで学校なんて行っちゃったの」とか言われたり。「女に学はいらねえ!」みたいな雰囲気だったので。時代ですよね。ものすごく優秀であれば、女性でもちゃんと専門職に就いている方もいましたけど、私の場合は中途半端だったので。「行くとこ?」「ない!」みたいな。
そんな時代でも大学に進んだのは、仕事で身を立てたいと思っていたからでしょうか。
めっちゃ遡ると、本当はお医者さんになりたかったというのが実はあって。医学部を目指していたんですけど、落ちたから行くところがなかった。浪人した2年目もあまり自信がなかったので、せめてという感じで医学部ではなく理学部を受けたんですが、そこも落ちてしまって。滑り止めで受けたところに行ったというのが背景です。でも、行ったら行ったで学校生活はめちゃくちゃ楽しかったので、不満は一切なかったんですけどね。
結果としてエンジニアリングに役立つようなカリキュラムもあったとか。
そう、商学部ではあったんですけど、情報システム系の講義がいくつか取れたんです。いわゆるアルゴリズムの概論であったり。かなり基礎的なものですが。そういった授業が、おそらく初めてコンピュータに触れたところだったのかなと思います。
触れていて面白いという感覚は当時からあった?
座学は面白かったんですけど、実際にプログラムを書くところは「まったくわからない!」みたいな感じで。個人的には数学とかの方が好きでした。
本格的な目覚めは……
まだまだ先ですね。ただ「数学で経済を解決する」みたいな卒論がどうしても書きたかったので、パソコンを使って、TeXで書くことはしていました。プログラムでもなんでもないですけど、ああいうちょっと面倒なことをするのは嫌いではなかったです。
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過去のインタビューには「やりたいことがわからず、探し続けた20代」とありましたけど、そもそもはやりたいことを探すというより、とにかくやらせてもらえることを、というスタートだったんですね。
できることとか、選びとれるものとか。その中で「これ、私好きかもねー」みたいなものを少しずつ探していく感じでした。
ちなみに、就職したのが1997年ということは「Windows95」はもう出ていた。
出てましたね。大学時代に最初に使ったのは「3.1」で、その後「95」を使ってという感じですかね。
インターネットにも親しんでいたってことですね。
今の常に接続されてるのとは全然違いますけど。家にパソコンがありました。
「3.1」を使っているような人はおそらく商学部では少数派。となると関心はあった方?
そうかもしれない。新しいものが大好きだったので。モノが好きなんですよね、形のあるモノが。
やりたいことを探してフラフラ。親に泣かれる
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実際に就職してからはどうでしたか?
営業職なので、ITに触れることはなく。日報とかも紙に書いてましたし。
お客さんのところを回って。
そう。でも1年しかいなかったので。「先輩にくっついて歩く。以上!」みたいな感じです。
就職するのが大変だった時代に1年で辞めてしまうというのは結構な決断だと思うんですけど。そのときの心境はどういうものだったんですか?
いやー、ものすごく怖かったですよ。まだ「第二新卒」という言葉も存在しないし。女の人だし、ずっと働くとは思われていなかったと思いますけど、ただ「結婚もしないのに辞めちゃうなんて」みたいなことは言われました。「本当にダメな人ねぇ」みたいに、親にがっかりされる感じではありましたね。ただ、私としては「もっと違う仕事がしたい」「辞めちゃえ!」という。勢いですね、勢い。
で、結局ソフトウェア開発の会社に行くことになるんですけど、それも「営業職ではない何か」「その中で自分にできることを」くらいの話でした。それがたまたまソフトウェアの会社だったというだけ。経験なんてまったくないわけですけど、いいよと受け入れてもらえて。運が良かったんだと思います。
そこで初めてエンジニアっぽい仕事に携わることになる。
そうです。でも今やっているようなウェブ系の開発ではなく。どちらかというと、官公庁とか病院とかにインストールして使っていただくようなシステムを作っていました。
それなりに大きな会社ということ?
いえ、下請けの下請けの下請けみたいな感じ。社員も10人くらいだったかな。
それまでやっていた仕事とは180度違う仕事だと思うんですけど。
とにかく初めてのことばかりで、夢中になってやっていた感じですね。インターネットでものを調べるということが今ほど簡単にできる時代ではなかったので、本を買って読んだり。あとはメーリングリストみたいなところで質問をするんです、技術的な。そうすると中にいる有名な人がそれを拾って、答えてくれる。自分で質問するというよりは、どなたかが質問して答えてもらっているのをずっと眺めていて、似たような課題にぶち当たったときに真似をする、みたいなことをやってました。
そういうのが楽しかった?
楽しかったですね。
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なのにその後、辞めてしまったのは。
ちょっと生活の変化があって、一回リタイアする選択をしたんです。仕事そのものをやめる選択を。でもその生活もしばらくしてすぐにやめて、また働くことになるんですけど。
小さなモバイルサイトも作るし、それ以外に紙の雑誌のページも作る、そういう制作の会社に行きました。それも結構面白かったんですよ。でもその会社が潰れちゃったので。会社がなくなって、収入もない、路頭に迷うという状態になったことで、それまではずっと北海道の地元にいたんですけど、それを機に上京しました。そのころもまだ就職口の見つけにくい時代でしたけど「都会に行けばお仕事がいっぱいあるんじゃないか?」と思って。それで田舎から東京にヒュッと出てきちゃった感じです。
一つのところに収まらないのには、そういう事情もあったんですね。
周りの人には「堪え性のない人間だ」って言われまくりました。一つの会社に骨をうずめるのが価値の高い時代だったので。たぶん宇宙人のように見えたんじゃないかな、親からしたら。泣いてましたもん。「どうしてこんなふうになっちゃったんだ」とか言って。こっちとしては「泣かれても困るなー」みたいな気持ちになるんですけど。
ちゃんと働いているのに。
いや、ちゃんとかもわからないですよ。フラフラしてるし。お酒ばっか飲んでるし。
2ちゃん人脈を辿ってノリで上京
このころからお酒がお好きだったんですね。
あっ、それはもう昔から。ふふふ。だから「この子どうなっちゃうんだろう」って。ずっと心配かけてましたね。
ゲームとかネットサーフィンにハマっていたのも上京前から?
はい。本当にインターネットが大好きで、ずっと「2ちゃんねる」ばっかりやってましたね。「2ちゃんねる」のスレッドに常駐して、ずっと誰かと会話してました。あとは私、怖い話が好きなんですよ。「2ちゃんねる」には怖い話ばっかり載ってる場所もあって、当時は非常に文章力に長けた人たちがたくさん投稿してたので、ちゃんと怖くて楽しかったんです。
昼間は働きに出て、帰ったら夜な夜な。
そうです。「テレホーダイ」というのがあって。夜中は安いんですよ、インターネットが。
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話を戻すと、もっとチャンスがあるのではと思い、東京へ出ていった。でも初めての東京ですよね? 怖さはなかったんですか?
いやー、今までのことに比べれば別に、という。ネットで知り合った友達がいたので、その人を頼って出てきたみたいな感じです。でも、よく考えたら恐ろしいことですよね。その人が悪い人だったかもしれないわけで。結果オーライでしたけど、そうではなかった場合は私は今ここにいなくて、どこかに埋まっていた可能性もある。無謀でしたね。当時もう29歳になっていたのに。年齢のわりに無謀な人でした。
仕事の当てもなく?
はい、何にもなく。でも、それが本当にやべえことなんだなってすぐに気づくことになりました。上京してすぐにインフルエンザになっちゃったんですよ。でも無保険なんです、働いてないから。保険に入ってないと病院代とか薬代とか、こんなに高けえんだ!とそこで初めて知りました。
住まいも……
居候です。完全に居候。めちゃめちゃですよね。仕事もないので、フリーランスといえば体はいいですけど、派遣みたいな感じ。「FINDJOB!」ってわかりますかね、昔ミクシィさんがやっていた。あそこに「私、こんなことできます!」と登録をして。本当はできるかどうかも怪しいのに。そこからちょっとお仕事をもらったりして食い繋いでいました。
モバイルサイトの小さなHPを作ったりとか、そういうお仕事。完全に独学なんですけど、PerlとかPHPをちょっと勉強していたので、それでできることを。「全然力なんてないんですけど、こういうこと、やりますよ!」ということで、すごく安く請け負っていました。
それで生活費を稼いで。たくましいですよね。
無理やりでしたね。
どこか派遣先の会社へ行ってお仕事をしていたわけですか?
いえ、パソコンは自分のがあったので、友達の家でやらせてもらっていました。その当時の自分のスキルだとわからないことや難しいことが山ほどあったのを、プログラマーとして働いている友達に教えてもらったりしながら、必死で。
インターネット上の交友関係がすごく財産になっていたんですね。
そうです。すごく助けてもらいました。
無茶な働き方をしてバーンアウト
実際、東京にはチャンスが転がっていましたか?
仕事って結構あるんだなと思いました。前半はそうやって友達のおうちでやっていたんですけど、途中で毎朝派遣されてそこへ行くという会社も見つかって。そうするとサラリーマンって感じがするじゃないですか。毎日そこへ行って、毎日仕事をする。しかも一人じゃなくて、そこにチームがあるみたいな状態に落ち着けたので。「ああ、すごい!地元に居続けてたら、このチャンスはなかったな」と思いました。
地元のシステム開発会社で働いていたのとはだいぶ違ったということでしょうか。
規模が違いました。人数が。あと、これは時代もあるんですけど、北海道にいたときのお仕事は本当に下請けの下請けの下請けの、小さなパーツを作るみたいな、そういう切り出され方だったんです。東京に来てからやっていたのは、まあそこも二次請けくらいではあるんですけど、でも一つのシステムをまるっと任されているみたいな感じだったので。「全体像が見えるのって面白い!」と思いました。自分が知っているサービスの一部に携わることもあって、「都会だなあ」とも思いましたね。
たとえばどんなものを?
当時はスマートフォンが出る前で、モバイルサイトが主流だったんです。ドコモとか、KDDIのEZwebとか。そういったところ向けのサービス、たとえば着メロだったり待受の画像だったり、その辺の公式サイトにくっついているシステムを作ったり。そういうのが面白かったです。
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でも相当ハードな働き方なんですよね、そのころの受託開発って。
当時のIT職は今のようには人気がなくて、みんなやりたくない仕事なんですよ。「3K」とか言われていて。三つの「K」は「帰れない」と「きつい」、もう一つは「汚い」だったかな。お風呂に入れないので、「汚い」。そこに最初はお手伝いで行き始めて、30代になって正社員に登用してもらったんですけど、そこはまさに戦場でした。
なので、まあ家には帰らなかった!だいたい会社で寝泊まりして、近くの銭湯に行ったり。床で寝ているから、ピアスの穴にバイ菌が入って耳が腫れたりもしていました。わりとめちゃめちゃやっていたので、楽しかったんですけど、疲れちゃうときもありましたね。
「楽しかった」というのは……
「みんなでこのデスマーチを乗り越えていく!」みたいな感じで、たぶん脳からおかしな信号が出ていたんじゃないですかね。同僚たちとは常に一緒にいて、家族みたいになっていたし。相当無茶もしてましたけど、それがちょっと面白かったんですね、当時は。あと、圧倒的に短い期間で技術を習得してやっていく必要があったので、そこも。
技術はどうやって学んでいったんですか?
学びと言えるような学びではないです。とにかくやる。仕事でやる。失敗は許されない緊張感と共にやっていく感じでした。30代前半から後半、38歳くらいまでそういう生活をしてました。
体が悲鳴を上げそうですが。
体は丈夫だったのか、意外と平気でした。一番良くなかったのは心ですね。一度バーンアウトしたことがあったのですが、そのときなんかは、もう起き上がれない。健康なはずなのに全然起きられないみたいな感じになったので。それは本当によろしくなかった。
ある日突然?
そうですね。当時は受託会社なので、運用するというよりは、イチから作ってローンチまでを見届けることが多かったんですけど。で、一つローンチした後には当然、次の仕事が降ってくる。でも、とある「これはやってやったぜ!」というきついサービスをローンチまでやり遂げた、その次の週くらいから全然起きれなくなって。もともと朝早く起きるのは平気な人間なのに、まったく起きれない……というか、起きたくない。で「休みまーす」とか言って会社に行かないことを宣言した途端に元気になる、みたいな。病院に行ったら「いわゆる燃え尽き症候群ですね。しばらくお休みするのがいいんじゃないですか」と言われたので、言われるがまま、3ヶ月くらいかな、お休みさせてもらいました。
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休んだことで変わっていくものですか。
そうなんですよー。休んで復帰したら頑張れるようになって、またちょっと頑張っちゃったんですけど。休み始めのころは「ここからしばらく休みだ!」「バンバンお酒を飲んでいいのかな?」くらいの、ちょっと壊れた考え方に一瞬なったんですけど、あえてそれも止めて。そのときは禁酒していたんです。お酒を飲まないで、毎日3キロ以上散歩するという、自分らしくないタスクを課して。別人になっていた。そうしたら元気になったんです。
決めたらそういうことができる人なんですね。
たぶん自分自身が嫌だったんでしょうね。楽しいとは思ってても、運動もしない、ごろごろ寝て酒ばかり飲んでるみたいな自分を変えたいというのがあったんだと思います。病院の先生から「毎日飲み過ぎはダメです」と言われたのももちろんあるんですけど。
飲みつぶれて警察沙汰も
それまでは一体どんな飲み方をしていたんですか。
えー、記憶をなくすまで飲む? 怪我をしたりとかも。ああ、それはその後も何回もやってるんですけど。美味しく飲むとかではなく、本当にダメに、ぐだぐだになるまで飲む。
謎の店があったんです。ビールが50円で飲めるという。そこに仲間と行って「10杯飲んでも500円じゃん!」みたいなことをしていました。バカですよねー。で、家に帰れるときは帰るんですけど、なぜか寝ないんです。飲めば飲むほど寝ない。買って帰って、家でも飲むんですよ。追い酒をするという悪い癖があって。そんな自分が楽しくもあり、ちょっと嫌なときもありました。へへへ。
聞いていても楽しそうですよ。でも「変えたい」という気持ちもあったんですね。
だって怪我したら痛いし。あと、記憶がないのは不安だし。骨とか折っちゃったりもして。家の近くまで帰ってきたにも関わらず、電柱に頭をぶつけてその場で倒れて、警察を呼ばれたこともありました。「死体がある!」って。それでお叱りを受けるみたいなことも。
飲む気なんてなかったはずなのに、いつの間にか開けてるとか。たまの休みはもう、起きた瞬間から「飲みたい!」「開けたくてしょうがない!」みたいになっていたので。今は普通に、誰かと食べに行くときに飲むという感じですけど。やっぱりあれは良くなかったですね。
でもそこから完全に生活を改善するのはすごいですよ。
ただ、その後仕事復帰して、最初は控えめだったんですけど、だんだん元に戻っていきましたね。本当に困った人だなと自分でも思うんですけど。
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お話を聞く前にイメージしていたのは、バーンアウトがきっかけで生活を改善して、考え方や働き方を見直したというストーリーだったんですけど、そうではなく。
って思うじゃないですか。違うんですよー。人は簡単には変わらない!
いや、私も根本としてはそういう働き方は良くないと思っているし、人にも強制したくない。そうやって生み出されたものってあまり良くない、幸せな状態で作られた方がやっぱり幸せなサービスになるよねという考え方なんですけどね。その後働き方が改善されていったのは、私自身というよりは、時代背景が大きい気がします。
頑張りすぎているときって、周りの人にも同じことを求めがちなんですよね。「私がこんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさいよ」みたいなところが絶対自分のどこかにあって、それは態度に出ていたと思います。でも、それはしたくないなと強く思うようになりました。そう思っていてもどこかに出ていて、誰かに申し訳ないことをしていた可能性もあるんですけど。そのころに一緒に働いていた人とは今でも仲良くしていて、飲みに行ったりもするんですけど「あのときのミッチーは鬼だった」って。
「鬼が鬼じゃなくなった」と、周りの人は変化を感じている。
と思っていると思いたい。ふふふ。
一方でそういう過剰な働き方、物凄い緊張感の中で働いているからこそ得られる技術や知識、あるいは胆力が鍛えられるという考え方もあるじゃないですか。その点はどう思いますか?
私は自分の過去を反省というか、ダメだったとは思いたくないので、「結果的に糧になった」と思うようにしてます。ああいう環境でやれたからこそたくさん学べた。ものすごく続く緊張感も、あれはあれで自分にとっては良かった。ただ、一般的にはよろしくない。人を壊すぞ!とも思います。
そういう働き方をしている人が今、身近にいるとしたら。
もっと自分を大切にしてあげてほしいと思います。そういう働き方をする背景にもし「ずっと技術に触れていたい」という思いがあるのだとしたら、仕事は仕事として、たとえば自分の時間に好きなことをするという選択肢も、今はいっぱいあると思うので。
ちなみに、お酒に関しては働き方が正常化した後も飲み続けているわけじゃないですか。みちるさんの人生の中で、お酒の位置付けってどう変化していったんですか?
最初のうちのお酒は「美味しく飲む」ではなくて、不安を打ち消す何か。次は不安じゃなくて、憂さ晴らし。溜まったストレスをお酒で発散。で、途中からは「いやー、酒、うまいなー!」みたいな。「美味しい!」「大好き!」「止まらない!」になってるという感じでしょうかね。
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プレイヤーか、マネージャーか
この後、それまでの受託開発の会社から自社開発の会社へと転職していくことになるわけですよね。「転職できる自信がついたな」「自分はもうエンジニアとして一人前だ」と思えたことと狂気的な働き方からの解放とはセットになっているんじゃないかと思うんですが、その辺りはどうですか?
ああー、「狂気的な働き方」とおっしゃっていただいたのはまさにそれで。ずっと自分に自信がないんですよ。まずコンピュータサイエンスとかを学校で習っているわけではない。全部独学で、現場でやっていく中でリアルタイムでなんとかキャッチアップし続けている状態なので、常に自信がないんです。だから、お休みをしたときには「もうプログラム書きたくない」とまで思っていた。「一人前になれた」どころか、「もう十分やったんだな」という区切りみたいなのがあったと思います。
このあと事業会社に行くんですが、そのときの職種がプロジェクトマネジメントなのには、そういうわけがあります。最前線で自分がイチから全部書いていくのではない職種。そこで一回引いたっていう。まあ引いた後、すぐにまたやりたくなっちゃったんですけど。でもそのときはそういう心理でした。
達成感というよりはもうきついかなという感じ?
そう、挫折ですね。
でもその後戻るんですね。
戻るんですよ。そこにブツがあると手を下したくなる癖があって。どうしてもやりたくなっちゃう。ということに気づいたんですね。
プロジェクトマネージャーとして事業会社に入社して、「また手を出したくなってしまう」というのはどれくらいのスパンの話ですか?
いやー、半年持たなかったですねえ。この会社は私が入った時点でもう結構大きな会社だったんですけど、当時は社内にWebエンジニアがいなかったんです。開発は昔自分がいたようなベンダーさんにお願いをしていました。開発プロセスとしてもかなりしっかりしたものを引いていて、どんなに小さな要件であっても、ちゃんとV字型。なので「これすぐ出したいよね」「私がやったら1週間かからないな」みたいなものにも、いろいろな手続きがあるせいで時間もかかるんです。
そうするとモヤモヤするじゃないですか。ずっとモヤモヤしてて、そのときに思ったのが「やりたい」「手を下したい」。ただ、瑕疵担保責任のようなものがあるから、組織としては到底「うん」とは言えないわけです。
ということで、わりとジレンマを抱えた時期が続いたんですけど、その後、社内でもエンジニアを採用して開発チームを作っていこうぜという流れができて。そこでようやく「よし、自分たちで自分たちのサービスを作っていくんだ!」という気持ちになれた感じです。
それで再び自分でも手を動かす立場に。
はい。手を動かして、仲間たちのレビューをしたりしてもらったりしながら、一緒に開発することをしばらくやっていました。でもそれがだんだんできなくなってくるんですけど。
そうなんですね。
チームが少しずつ大きくなって、エンジニアの新卒採用もするぞとなってくると、マネージャーの仕事がメインになるんです。それは私のやっていることが認められて、抜擢していただいたという、大変喜ばしいことなんですけど。でもそうすると、どんどん手元から離れていく。
この会社には6年半くらいいたんですけど、最後の方はほぼほぼ自分が手を動かすことはなく。なんだったらプロジェクトマネジメントすらもすることはなく、組織作りをメインでずっとやっている感じでした。それも楽しかったんですけどね。なのでその後、エンジニアという職業でイチから就職するというのをやりたいなと思って、転職活動をしました。
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それでリブセンスに。その後のLINE、メルカリも含めて「マネージャーになって、でもICになりたくて」ということがみちるさんに転職を促してきたように映るんですが。
おっしゃる通り! 毎回そうで。何度も繰り返すやつなんですよね、私って。落ち着きがなくって。
リブセンスでも面白い仕事をさせてもらっていたなと思っているんです。結構楽しくやっていた。んですけど、早い段階でもう手を動かすことがほぼなくなってしまって。そんなときに、LINEに就職していた昔の後輩から連絡があったんです。「LINEのカフェってすごく綺麗なんだよ」と言うので遊びに行った。そうしたらその後輩と一緒に、「新しいHRのサービスを立ち上げる」という事業本部長みたいな人がなぜかいて。しゃべってたらすごく気が合って、その場でなぜか握手しちゃって、「転職するぞー」みたいな感じになぜかなっていた。
イチから立ち上げなんて、それまでやったことがなかったので。受託会社にいるときに一応ありましたけど、自分で座組とかから考えて、というわけではなかったから。あくまで「こうやって作ってください」と言われたシステムを作る人。その後の会社のdipでも、すでにあるシステムをよりよくしていく仕事をずっとしてきたので。「イチからの仕事に誘ってもらえるなんて、超チャンスじゃん!」とそのときは思ったんです。
その気持ちはわかります。
実際楽しかったですね。入社して最初は、大学生が初めて就職するときにLINEを活用するようなサービスを作って、その1年後くらいには「LINEスキマニ」という、ギグワークのサービスの立ち上げもして。最初に作ったサービスはいろいろあって短期間で閉じることになったんですけど、ちゃんと「お墓にしまう」ところまで経験できましたし。
このころの働き方はどうでしたか、受託開発時代と比べて。
30代のころほどの無茶な働き方はないですけど、どうだろうな。サーバがクラウドではなくオンプレミスだったときは、リリース時なんかは物理的な処置の必要も多くて、休みだったり深夜のリリースも今以上に多かった。なのでその対応をしたりとか。トラブルが起きたときに長くやるみたいなことは、30代だけじゃなく、40代、50代になった今も全然やってます。ただ、何日もおうちに帰れないとかは絶対にないです。あとは、仕事自体がそこまで忙しくなくても、空いている時間でハッカソンに出て、3日間くらい寝ない、とかはやったりしてます。
でもそれはまた意味合いが違いますよね。
そう、時間の使い方が違うんですよ。
大学院へ行ってキャリア観が変わった!
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LINEのあとはメルカリへ。注目度の高い企業ばかり渡り歩いていますよね。
これはですね、私の言い方一つで「こいつ、本当に帰属意識のないやつだな」となってしまうと思うんですが、親しい友人に誘われたから。
それまで、特に事業会社に入ってからは、ずっとHRテックばかりだったんですよ。HRテックが嫌というわけではないんですけど、ここにきて初めて「フィンテックってどうよ」みたいな誘われ方をして、ちょっと気になるぞ、と。「じゃあやってみるか!」とエントリーしてみたら、運よく採用していただいて。
実はそのタイミングで、父が亡くなるという出来事もありました。父が亡くなって、母親とも「今こんなことやってます」みたいな話をする機会ができたことで、20代のころに信じられない仕事の辞め方をして泣かれたこととかも、すべて「そういう思い出もありましたね」みたいな感じになって。母も「あなたが選んで歩んできた道も、そんなに悪くなかったんだろうね」みたいに言ってくれたり。
認めてくれた。
私はずっと働きやすい会社にいたなあと思っているんです。特にこの10数年はずっとそう。父が亡くなる前は要介護状態になっていたので、北海道と東京を何回も行き来するとか、北海道にしばらく滞在しないとならないこととかもあったんですけど、それはこの職業だからできたことで。コロナ禍になる前は、リモートで仕事をすることが許される環境なんてあまりなかったじゃないですか。でもそれができる職種だった。そのことにはすごく感謝してるんです。
で、そんなによくしてくれた会社なのに、父が亡くなったタイミングで「ああそうか、介護生活も終わったし、これをチャンスと捉えてもう一回転職するぞ!」となったという。あはは。周りはしんみりしているのにね。しかも、それまでずっと「現場がいい」と言って転職をしてきたはずなのに、まさかのEMとして入ることになりました。
好きなこと、得意なことをある程度決めてしまうというか、自分の枠を作ってしまった方が楽に意思決定ができるところがあると思うんですけど、みちるさんの場合はそれに過度にとらわれることなく、その時どきに真摯に向き合って意思決定している印象ですね。
まあ、わりと好奇心であったりが勝っている気がします。ただ、途中からそうではなくなるんですよ。最近はそれとは違う軸が自分の中に生まれていて。メルペイに入るまではわりと好奇心の世界だったんですけど、そこから先は、実はちょっと違う意識。「50歳になるぞ」みたいなときだからなんですかね。
どういうことですか?
メルペイに入ってすぐくらいに大学院に行き始めたんですけど、大学院大学なので、社会人ばっかりなんですよ。年齢層も幅広くて、20代の方から60代の方まで、いろいろな人が並んでいる。会社では知り合わないタイプの人もいっぱいいて、すごい刺激だったんです。というのと、自分自身の年齢もあって「この先、私はどうやってずっと働き続けていくのかな」ということを考えるようになった。
IT業界で働いている年の近い知り合いが何人かいるので、みんなはどう考えているのか聞いてみようと思い、外部1on1みたいな感じでインタビューもしてみました。そうしたら、自分たちって「はい、定年です」と放り出されても、きっと年金はそんなに出ないし、電気代を払ったらもう終わり。食っていけねえ、みたいな話になって。だとしたら、この後もずっと必要とされている状態じゃないとしんどくなるよなあ、と。かつ、私たちの年代の人たちには、わりとガムシャラに働いてきた人が多いんですよ。そんな人が急に「何もしなくていいよ」みたいな感じで放り出されても、一気にボケるなとも思っていて。
それで、ここから先は「65歳以降もこの社会で仕事をしていてもいいですよ」と認めてもらえるための、種まきの期間なんだと急に意識し出しました。やっぱり社会に必要とされている状態でないと、仕事ってないじゃないですか。
まあそうですよね。
歳をとっても登用してもらえる人ってどんな人かみたいなことを調べようと思い、いろいろな企業の人に聞いてみると、まず「謙虚であること」。要するに偉そうな状態ではない。あと「管理職にしがみついているような人だとみんなやりにくいよね」とか、そういういろんな話も出てきて。
大学院大学へ行くと、ご年配の方はすでに起業されていたり、あるいはこれを機に新しく起業するという人が多いんですけど、自分が起業する人になる気はしないなあ、と。じゃあこのままマネージャー1本でやっていくのか。そういう道を進んでいって、最後にどんな自分がいるかなと想像してみたら、もっと現場で手を動かすことができる、若い本当に優秀な人たちには敵わないけれども、ゆるくともみんなと歩みながらエンジニアリングができる人になって「社会に役立つな、この人」と思ってもらいたいなと思うようになったんです。
なるほど、それでメルカリを飛び出して、カウシェというスタートアップで、ICとして活躍するという決断にもつながっていくわけですね。
そうですね。そのときの軸は当然「現場でやりたい」。現場で力を積まないと何にもわかってない老人になってしまうと思っていたので、それができる会社に行きたいなと。なのでこのときは業態というよりは、私をバックエンドエンジニア、しかも自分の好きなGo言語で雇ってくれるところ。あとは自分のスキルに自信がなかったので、技術試験があるところがいいな、そこで私を見てくれるところがいいなと思っていました。
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時系列が前後しますが、そもそも大学院へ行ったきっかけも聞いていいですか?
三つのきっかけがあって。1個目は、大学ではコンピュータサイエンスを学んできていないこと。別にコンピュータサイエンスにこだわっているわけではないんですけど、何かしらのIT系の体系的な学びを得たいなと思ってずっとチャンスを伺っていました。2個目は父の介護が終わったので、身軽になり、自分の時間が増えたこと。3個目は、コロナ禍で家からあんまり出ない、会社に行かない、行っちゃいけないとなっていたことです。そういう条件が揃ったことで、今がそのときだと思った。仕事が終わって速攻でPCを切り替えれば、大学院に通うことも可能なんじゃない?と。AIIT(東京都立産業技術大学院大学)を選んだのも、完全オンラインだからでした。
1年ちょっと前に修了したそうですが、この2年間はどういう時間でした?
仕事をしながらなので、まあまあ辛かった。そういう選択をした自分に対しては「ようやったな」と思います。変わったこととしては、さっきも言ったように、意外といろんな人たちが働きながら学ぼうとしているんだと知れたこととか、それぞれの人たちの動機を聞いたりして、それが自分の世界を広げてくれた気はしてます。最初は自分の知識の穴埋めをするみたいな目的でしたけど、最終的にはそれよりも、自分のこの先の人生の考え方に影響を与えたなと思っています。
どこまでいっても不安は消えない、だけど
先ほどカウシェに転職した理由の一つとしてGoの話が出ましたが、コミュニティ活動のお話も伺いたいです。
一般社団法人Gophers Japanというのを何人かで一緒に作っていて、そこでGoのカンファレンスの運営などをやっています。その中で、女性とかジェンダーマイノリティの人たちが楽しんでやれるようにということで、Women Who Go Tokyoというのもやっているという感じです。
Goが好きになったのは?
2015年くらいです。そのころはもうなかなか手を動かす機会がなく、「またやりたいな」という思いをずっと抱えていたんですけど、仕事で書くのではなく、2年か3年かに一回、自分個人の時間に素振りをして、新しい技術で遊ぶみたいなことをずっとやっていました。その中でGo言語も、ちょっとどんなものかなと触ってみたかった。
そんなときに、メインで携わっているプロジェクトではない別の部署の人から「こういう情報をスクレイピングして取ってきて、データベースに入れるみたいなことを手軽にやってくれる人いないかな」という相談を受けて。「初めての言語で、質が悪くてもいいなら私がやってみてもいいですか?」と手を挙げて、試させてもらったということがありました。そのときの体験がすごくよかったんです。
そういうコミュニティをやっているのは、ご自身がキャリアの中で経験してきたことも関係している?
あー、ジェンダーは言うほど気にしていないんです。なぜならば、働きすぎてた30代のときの会社にも、意外と女性のエンジニアはいっぱいいたので。ただ一つ違うこととしたら、だいたい結婚したり子供が生まれたりしたら会社を辞めさせられていたので、そこが「うっ」と思うところではあるんですけど。でももともと結構いて。
女性向けのコミュニティは、実は私が立ち上げたのではなく。どなたかが立ち上げて2回目か3回目の勉強会に遊びに行ったんです。自分も書き始めたばっかりだったから、みんなとわちゃわちゃするのは楽しそうだなと思って。実際に楽しかったので、月一でやっている勉強会に足繁く通うようになりました。
そうしたら最初に運営されていた方々が、ライフスタイルの変化とかでコミュニティの運営ができなくなったりしました。そういうことってよくありますよね。なので、そのあと運営を引き継ぐことになって、細々とやっている感じです。
だからジェンダーにものすごくこだわっているわけではないんですけど、ただ、集まってくれている子とかに聞いてみても「Go言語の勉強会やカンファレンスに行くと、男性比率が高くて、緊張感が走るんですよ」とか言ってる子もいるから。だとしたら、私みたいな人がいると話しかけやすかったりするかなって。
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みちるさんは若いときから必死に生き抜いて、今なお第一線で活躍を続けていらっしゃる。キャリアのイベントに呼ばれて登壇する機会も多いと思うんですが、そういう後進の道標になりたいみたいな思いをお持ちですか?
確かにお呼ばれすることもありますね。みんな先が不安なんですよね。不安なので、人の例を聞くことで安心したいという気持ちがきっとあって。だから皆さん「ロールモデル」とか言われるんだと思うんですけど、でも私自身にはロールモデルはなかったしなー。だからと言ってすごく頑張って勝ち抜いてきたかというと、それもよくわかんない……。
ただ、不安を抱えながらずっとやっていくのはすごく大変で辛いことでしょう。そういう状態のままやるよりは、いろんな選択肢があるとわかっている方が、不安がないと言ったら語弊があるんだけど、人生にはゆとりも生まれるし、いいことあるよねとは思っているので。私が今までのこととかをしゃべることで、全部真似できるってことは絶対にないと思うんですけど、「ああ、こういう考え方もあるんじゃなー」みたいな感じで、絶望じゃない気持ちになってくれたらいいと思ってるくらいですかね。
みちるさんご自身には、今はもう不安がない?
いやいや、そんなことはなくてですね。昨年の10月にメルカリという会社に出戻ったんですけど、このときに実は、自分にとっては大きめの決断をしたんです。今まではなんだかんだ言って、だいたい開発部とかのエンジニアリング組織にいて、その中でICかマネージャーかという立ち位置をずーっと続けていたんですけど。今はそうではなく、セールスの組織に。
やっていることとしてはほぼエンジニアリングなんですが。今はこれまでに自分が得てきた知識、プロダクト開発をしてきた経験だったりHRのサービスをやってきたこと、プロダクトとかプロジェクトのマネジメントをしたり設計したりしてきたことを総動員して、プロダクトを作るのではなく、営業組織がうまく回るようなデザインをしたり、彼らが必要なものを開発したりするところにいます。
でも、部署が変わってるということで、自分自身がエンジニアを降りたんじゃないかみたいなふうに、自分で思ってしまう、もしくは周りに思われてしまうというのがすごく怖くって。
ああ、そうなんですね。
でも、入って今3ヶ月目が経とうとしていますけど、降りた感じはしないんです。それを自分の中でなんとか言語化したり、「この選択はすごく良かったな」と落ち着けていく、その途中にいますね。
不安っていつかなくなるものなんですかね。「ここまでやったから」と自信を持って言える状態というのは、いつかくるものだと思いますか?
「これで一生やっていける!」は、私の今までの経験からすると、ないのかなと。変化が激しい時代だし、圧倒的に新しいテクノロジーだったり考え方だったりが生まれてくると、そっちの方が時代には絶対に合ってくるので。だから「今まで自分がやり続けてきたことがあるから、それで戦える」とは思わないです。
ただ、二つ言えることはあると思っていて。新しいものを受け入れてまたやっていこう、若いみんなともやっていこうと思えるのは、今までの積み上げみたいなものがあるから。これまでもいろいろと変化させてきたり、逆に何かをコツコツやり続けてきたという、そういうベースがあるから、新しく変化することにも耐えられるのかな、と。だから自信がつくというよりは、「うん、大丈夫!」という感じでいます。
もう一つ、さっきもちょっと言いましたけど、「過去の選択を否定しない」というのは、結構意識してやっていますね。「やんなきゃ良かったなー」と思うことは一つもないです。なので、飲みすぎてアル中みたいになったのも、あれはあれで、私にとっては人生のプロセスだったなと思うようにしてます。
行き当たりばったりの興味ドリブン、人との縁で転職していたところから、将来にも必要とされる人材であるために少し別の方向性を模索するようになったというお話でした。大学院に行くことやスタートアップに行くことはその具体的な一歩、二歩だったとのだと思うんですが、そう変えたことで今のところどうですか。一方ではキャリアというのは後から振り返るものとも言われますが。デザインすることって実際可能なんでしょうか。見えてくる景色は変わるのか、とか。
始めたばかりなので、まだそこまで見えているわけではないというのが正直なところです。ただ、未来の私にとって、少なくとも毒になるようなことはしていないと思っているし、それが将来、誰かの役に立つような何かになるといいなとは思っています。
今こんなことを言っているのは、最近読んだ『モダンエルダー』という本に影響を受けているところもあるかもしれない。職場の中で、年配者が目指すべき立ち位置みたいなことを言ってる本。新しく学ぶ能力だったり脳の処理速度だったりというのは、下がる一方であると。じゃあどうすればいいのか、ということが書かれています。
まあ、この本に出てくる人たちはあまりにも優秀な人たちすぎて、自分とは違うんですけど。ただ、衰えていく武器で戦っていってお荷物にはなりたくはないので、どちらかというと、今までやってきた知恵だったり経験で、今後の判断軸の糧になるとか、そういった役の立ち方はあるかもしれないと思っている感じです。その具体的なやり方はまだまだ模索中ですけど、人に貢献できるような、私なりの働き方をこれから作れればと。作れるだろうって信じてます!
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