QAエンジニアではなくSystem Fixer。山下友輔(やまずん)は「居心地の悪さ」を前に、何度でも自分を定義し直す。
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執筆 : 鈴木陸夫
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写真 : 藤原 慶
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編集 : 小池真幸
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やまずんこと山下友輔さんは第三者検証のテスト会社でテスターとしてのキャリアをスタート。事業会社のQAエンジニアを経て、現在はフリーランス。一貫してテストと品質保証の専門家として現場に関わり続けてきた。
その過程で生み出した「Dirty Tester」「バキバキQA」といったオリジナルの自己定義が印象的だ。最近は「System Fixer」を名乗り、ソフトウェアだけでなく組織や人間関係、文化までをひとつのシステムと捉え、そこにある不具合や噛み合わなさを直していこうとしている。
キャリアを重ねるにつれて視座が上がり、視界が開け、より本質的な仕事ができる環境を求めたくなるのは自然なことのように思えるし、さまざまな要素が複雑に絡み合って起きた問題の本質的な解決を図ろうとすると、既存のロールはしばしば窮屈になる。その意味で山下さんのふるまいは理解できる。
しかし理解のためにそのようなわかりやすい言葉で表現してしまうと、山下さんの選択の実際からは離れていってしまう感触もある。選択の背景を説明するのに、山下さんがあえて「居心地の悪さ」というあいまいな言葉を選ぶのは、そのためだろう。
真摯で、倫理的で、理知的で、正直。そのどれかひとつでも欠けていれば、山下さんの選択はもっと簡単だったに違いない。
プロフィール
- 山下友輔(やました・ゆうすけ)System Fixer / QAエンジニア大阪在住の System Fixer / QAエンジニア。フリーランスとして組織全体の品質文化の醸成やプロセス改善、コーチングやメンタリング、技術支援などを行っている。その他、コミュニティスタッフなど多岐にわたる活動を行っている。
主流からは外れてしまった自分を慰めるため
ブログなどを拝読したところ、「QAエンジニア」という職業の定義と実際のギャップ、あるいは「QAエンジニア」という言葉がまとってしまったイメージが、やまずんさんに自己定義を繰り返させたり転職させたりという選択を迫ってきたように感じたんですが、実際はどうですか?
「Dirty Tester」、「バキバキQA」、最近はあまり言っていないですが「パーフェクトQAパーフェクトスタイル」とか、いろいろとコンセプト的なものを打ち出していますが、一貫しているのは、自分を肯定するためのものということです。
一般的な、多くの人に愛される“主流”からは外れてしまった自分を俯瞰的に見ていて、自分はそちらには行けないな、と思う。行けないというのは、物理的に行けないというのもあるかもしれないし、そうしたくない気持ちがあるのかもしれない。いずれにしろ、そういう自分を肯定するためにつけている、というのがすべてに共通することです。


自分を肯定するため。
たとえば「Dirty Tester」と名乗り始めた当時、世の中には「キラキラQA」という言葉がありました。コミュニティにみんなで集まって仲良くやっている東京の状況を僕は大阪からSNSを通して見ていたわけですが、その自分自身は毎日、朝早くから夜遅くまで働いてしんどい思いをしている。そういう気持ちへの慰めから来ています。
けれども、映画『Dirty Harry』に倣って、泥を被ってでも頑張る、影の側面に俺はいるんだ、そうやって自分を再定義してみると、すごくいい感覚があったし、面白くもありました。
ネーミングがどれもユニークで、そういう意味でも面白いなと思いました。
今名乗っている「System Fixer」は、またちょっと質感が違います。おっしゃるようにQAというもの、あるいはアジャイルコーチでもPdMでもEMでもそうだと思いますが、こうしたそれぞれのロールには、組織が用意した枠組みのなかの問題解決を期待され、より根深い問題に向き合うことが期待されていないということも少なくありません。僕はよく「システム」という言葉を使うのですが、すべてのロールは、たとえば社会システムのようなシステムの中で与えられた役割・機能でしかないのだと僕は捉えました。
では、システムそのものに作用しようと思ったらどうすればいいのか。僕はそれこそがQA(品質保証)の本質だと思っているのですが、QAという役割のままそれをやると、いろいろな人から「QAのくせに何をやっているんだ」ということを言われたりして、本質ではないところを指摘されてしまう。そこがちょっと息苦しくなって、名乗り始めたというのがあります。
「バキバキQA」「Dirty Tester」は正直、お笑いなんですが、「System Fixer」に関しては職種として捉えているくらいに思いを乗せているところがあります。恥ずかしいから冗談のように言っていますが。
「System Fixer」と名乗り始めたのはわりと最近だと思いますが、そのことによって起きた変化はすでにありますか?
まだ馬鹿にされるくらいのことしかないです。周りは「あいつ、またなんか言ってるよ」みたいに言っていると思います。それはそれで面白いからいいんですが。
続けていけばまた違った反応があるかもしれないですね。
かもしれないし、また捨てるかもしれないです。


サカナクションを見て、人生を損切りした
第三者検証の会社に入る前に、新卒で建設営業を経験されていますね。就職先はどういう経緯で選んだんですか?
ご質問に直接お答えする前に全体像から話すと、僕は幼少期から音楽をやっていて、ずっと音楽家になりたいと思っていました。けれども高校のときにサカナクションというバンドの音楽を聴いて、山口一郎を見て「僕はもうダメだ」と思って諦めたという経緯があります。
その後、大学にはなんとか入れて、建設業に進み、結果として25歳で転職するのですが、そこまでの人生に関して思っているのは、挑戦してこなかったということです。『山月記』の、羞恥心があって人前に出なかったから大成できなかったという話がありますが、それに近いものがありました。「僕はサカナクションより優れていた」と言いたいわけではなく、挑戦をしなかったことへの後悔があり、それが25歳になって噴出した、ということです。
音楽を辞めて大学へ進んだのは、ただ単に音楽家としての人生を損切りしたということです。ここから大学へ行く人生と行かない人生では大きく違うだろう、と考えて。けれども、ここにはかなりの葛藤がありました。
大学での4年間はなんとなく過ごして、就職活動もほとんどせず、1社しか受けずにそこに決めました。自分と深く向き合ったり、大企業の面接でよくあるようなグループディスカッションで自分を剥き出しにすることへの恐れ、挑戦することへの恐れが強くありました。ですからここでも挑戦せずに、「文系だから営業でしょ」という感じで、常識をインストールして営業職にしました。
剥き出しの自分の内側からくる基準で選択すると、失敗したときに傷つくことになる。それが嫌だから、社会で常識とされるものに基づいて選択した、ということでしょうか。
そうです。選択をしないというか、挑戦をしなかった。それは音楽で挫折したという、僕の人生の中の大きな失敗体験があったからです。挑戦しないという選択をしていることすら認知していなかった、と言った方が正しいかもしれません。


ちょっと遡ることになっちゃいますが、「サカナクションを見て感じた挫折」というのをもう少しだけ聞いてもいいですか。
僕と同じ世代だとKANA-BOONとかフレデリックとかが知られていますが、彼らはロック、優れてはいますが馴染み深いバンドサウンドです。サカナクションは違っていました。彼の音楽はダンスミュージックを取り入れた、それなのに引き算を感じさせる音楽。それまで足し算の音楽をしていた僕は、サカナクションを見て「あ、本当に美しいのはこっちだ」と思いました。
これは結構きつい出来事でした。親には音楽に関する教育にお金をかけてもらっていましたし、自分としてもかなりの時間を注いでいましたから。アイデンティティの核が音楽だった。それが崩れていくという挫折でした。
25歳、これが人生のボーダーライン
そういう経緯で決めた1社目での日々はどのようなものでしたか?
中小企業なので、結構放置という感じでした。あまり会社からの教育みたいなものはなかったです。「とりあえず行ってこい」という感じで京都や名古屋の会社に一軒一軒飛び込み営業して、仕事が取れたら気合いでなんとか見積もりをする。工事会社なので、その後は現場の技術者・作業員と話しながら詳細を詰めていくという感じでした。
22歳で入社して、25歳には転職していますね。
ずっと転職したい、この会社にいたくないと思っていました。
入社したのは京都の伏見区にある小さな会社でした。伏見区はいいところではありますが、京都の中でも南のほうの僻地です。そこで初めての一人暮らしをして、詳しくお話しすることは避けますが、そのころの僕は精神衛生上あまりいい暮らしをしていませんでした。また、この仕事をしている自分でいることがしんどいという気持ちが常にありました。「東京や大阪の綺麗なオフィスで、ビシッとスーツを決めてイケてるものを売っているはずなのに」という僕にとっての「ありたい姿」を持っていて、しかし現実には京都の小さなオフィスで、安い給料で働いているというギャップがありました。
なのになぜ25歳まで引きずったのかと言えば、就活のときと理由は一緒です。決断できない、挑戦しないという選択をしていることすら認知できていない状態が続いていました。


変わったのには何かきっかけが?
25歳のときに現場の仕事の助っ人に呼ばれたんです。よくあることです。ただその仕事は年末、昼過ぎから夜、日付が変わるくらいまでずっと単純作業を続ける仕事で、これが結構しんどかった。普段は営業だから、それがどの程度の売り上げなのかもわかっている。「こういう規模でやっている会社にいて本当にいいのか」と思いました。それで思い立って転職エージェントに話をしに行ったんです。
エージェントからは「文系大学、建設業という履歴書の文面からはマッチョな営業マンを想像するが、実際に話してみると理知的だし、まったくそれとは雰囲気が異なる。あなたは建設業に合っていなさそうだ」と言われました。実際はどうだったかはわからないですが。
加えて「このタイミングがボーダーラインだ」とも言われました。
ボーダーライン。
話をしたのが1月だったので、4月入社するという意味でもボーダーライン。結果として第二新卒として次の会社に入るんですが、25歳という年齢は若手として見てもらえるボーダーラインでもある、と言われました。
そこで本当に初めて危機感を覚えました。自分の生命とか人生に関して「あ、今だ」と思った。それで本格的に転職活動を始めたんです。
金曜か土曜にエージェントに話を聞きに行き、日曜を挟んで、月曜には退職届を出していました。「転職活動をするので辞めます。辞めることは決まりです。できるだけ有給消化で対応するのですが、場合によっては欠勤することもありえます。また相談させてください」と会社に伝えました。
「今だ」というのは、ここで決断なり挑戦しなければ人生がどうにかなってしまうと思ったということですか?
そうです。「今、ここだ」という直感がありました。これはもう直感でしかなくて、なぜだかは自分でもわからない。ただ、やる気、エネルギーのようなものが自然と湧いてきたことをすごく覚えています。


テストとの出会い
ここからエンジニアリングの世界に入っていくわけですが、転職先はどういう基準で選んだんですか?
営業の仕事自体は好きだったので、営業職で考えていました。ですが、先ほどお話ししたようにキラキラしたオフィスなどへの憧れがあり、またテクノロジーも好きでした。だったらIT関係かなと思って探していきました。
複数のエージェントを利用していたんですが、そのうちの一つに「ここは第二新卒採用があるし、エンジニアとして取ってくれるから、やってみないか?」と軽い感じで提案されて。それがベリサーブという第三者検証の会社でした。
ITと言えばプログラミングのことしか知らなかったので、「こんな変わった仕事があるんだ」と思いました。受けるだけならタダだからという気持ちで受けてみると、面接では物事を深く考えることが求められて、それは自分に合っているなと感じました。営業を含めて、他にもいくつか内定をもらえていましたが、営業には戻ろうと思えばいつでも戻れる。一回エンジニアになってみるのもいいかもしれないと思い、入社を決めました。
「作る側」に回りたい気持ちはこの時点で持っていなかった?
その時点では作る側と検証する側という違いがあることすらわかっていませんでした。多くの人は「エンジニアとテスターは違う」というところにギャップを感じると思うんですが、当時の僕はそういうことは意識していなかった。そういうイデオロギーがあること自体を知らず、「営業じゃなくてエンジニア」くらいのすごく粗い捉え方をしていました。


では、入ってみてどうでした?
まず研修が3ヶ月ありました。最初の会社が研修0日だったことを考えると、すごく違った感じがしましたし、その中で習う「テスト」というのはすごく面白いものでした。いろいろなことを考える。テスト設計と言われる、テストを作っていく過程は特に頭を使います。そういう作業は「俺に合ってるな」と強く思ったことを覚えています。
ですが、現場に入ってみたら難しかった。専門用語がすごく多かった。普通は知らなくてもいいようなことまで知っていて当然のように接してくる、今考えるとかなり変わった現場でした。ただ、そこでマニアックなレベルを求められたことは、その後の人生には良かったです。
「プログラマーvsテスター」のヒエラルキーをそれほど感じなかったのは、開発チームがオフショアだったことも関係しているかもしれないです。そういう見方をする人がいることは知っていましたが、僕自身はちょっと俯瞰して、冷ややかに見ているところがありました。
当事者としてそのヒエラルキーに苦しむというよりは、「そういう構造にあるよね」というふうに冷静に見ていた。
そうです。それよりは受注と発注の関係とか、仕事をとってくる側とそれを工数通りにこなすことを求められる側の関係とか、現場のヒエラルキーの方を意識していました。


挑戦しない選択をした1社目と、明確に挑戦する気で飛び込んだ2社目。日々感じることに違いはありましたか?
違ったとは思います。ただ「挑戦という選択をしない自分」というのは依然として続いていた気がします。たとえば、JSTQBという資格を最短で取るといったことはありましたが、それは会社から受けるように促されたものだし、結構受け身のマインドセットだったかもしれないです。
ただ、営業とは明確に違うことがありました。営業の仕事はお客さんや状況によって最適なやり方が変わります。たとえば商談の仕方、信頼関係の築き方にも結構応用力が必要になる。そして、成功体験や失敗体験を普遍的に活かせるのは難しい側面がある。その点、エンジニアリングは学んだことをすぐに使えるし、使うことでまたフィードバックが得られる。そういう質的な違いがありました。今振り返ると、そのおかげで少しずつ「選択をする」「挑戦する」ことに向き合うようになったようにも思います。
修羅と菩薩、二人の自分
テスターとプログラマーの対立は冷ややかに見ていたというお話でしたが、ブログには「お前はテストエンジニアではなくテスターだ」と言われ、それが「Dirty Tester」という名乗りにつながったと書いていました。
海外だとテスターは「テストの専門家」という意味で使われている場合もあります。ですが、日本の文脈だとテスターはレベルの低い人で、テストエンジニアがレベルの高い人。これはテスト業界の先輩たちが戦い、積み上げて選択してきた言葉の選び方でもあります。
僕自身はそのときはテスター側にいました。その上で言うと、結局レッテル貼りしたいだけなんだなと見えていました。その先入観に対する反抗がまずあり、「だったら別に、“テスター”でいいです」というふうにして選んだところがあります。
もう一つあったのは「テスターを下に見ているテストエンジニアやQAエンジニアは当然、テスターである僕よりテストについて知っていて、うまくやる実力もあるんでしょ?」という気持ちです。僕がボトムラインなのだから、それより下のことはするなよ、と釘を刺す思いでテスターと名乗っていたところもありました。
やまずんさんが2社目で日々従事していたお仕事はテストエンジニア、あるいはQAエンジニアとしてのそれではなかったんですか。「テスター」と言うけれども、決してテストだけをやっていたわけではないですよね?
おそらくそうですが、表現が難しいですね。
振り返れば、おそらく2年目くらいですでに「テストをしてください」「テストを設計してください」とタスクとして誰かから受けたことをやるという仕事の頼まれ方はなくなっていました。そうではなく「こういう問題があるから解決して」という受け方に変わっていました。これは、現場のお客様がそう汲み取ってくれていたんでしょうね。
その中でふりかえり、アジャイル開発、デバッグ手法といった技術を学んだし、プログラミングもするようになっていった。そういう意味では、この時点ですでに「目的を考える」という方向への転換があったのかもしれないです。
QAという仕事に対する世の中の誤解に、苛立ちを覚えてもおかしくないな、と思うんですけど。
一つ注文をつけるようですが、QAに対する印象について「誤解」という言葉は使ってほしくないです。誤解と言うと、何かただ一つの正解があるようなニュアンスになってしまう。でも実際には、別の人にとっては、僕が正解だと思うのとは別のQA像があるかもしれないですよね。僕はよく「投影された」という表現を使うんですが、同じ言葉に対して、人はそれぞれ違う意味を持たせているし、そうあって然るべきだと思っています。
いろいろなメディアで「本来のQAの仕事は」と言う人がいますが、それでは結局のところ、その人がプログラマーや上司などから抑圧を受けた構造の再生産となってしまうことが多いと考えています。僕のメディアや僕を使うメディアでは、そういうことは絶対にしてほしくないと思っています。


ちょっと失礼な聞き方になるんですが、それは本心から思っていることですか? それとも、本当は「QAかくあるべし」と思っているけれど、それを押し付けるのは良くない。だからそういう言い方はしないようにしよう、というようにふるまいを選んでいるのか。ニュアンスを伺いたいです。
それはいいポイントです。いろいろな人を許したい自分と、これは違うよねという気持ちを貫き通したい自分。修羅と菩薩とよく言うんですが、僕はその二つの自分をすごく認知しています。
すべてにおいてそうです。たとえば、いろいろな国から来た外国人が日本にいることについても、多様性があってすごくいいと思う自分と、そういう人が文化の違いから“模範的な日本人”とは違った行動をするのは嫌だと思う自分、対立する二面性が常にあると思っています。
その上で、僕はダイバースな方の自分を表面としたい。メディアではそうしたいと思っている。でもそれが成り立つのは、世の中に対する激しい嫌悪を抱いているもう一人の自分がいるからであり、そういう自分の存在もまた、ダイバースな自分としてつなげていっているイメージでいます。
ですから「誤解だ」というのは実は的を射ているんです。ある種「誤解だ」と僕も思っている。でも、そうではないという発信はしっかりとしていかないといけない。そういう多様性のある表現でなければならない。そうしないと、結局対立とか抑圧という同じパラダイムのシステムでの話になってしまう。それでは意味がないと思っています。
「居心地の悪さ」を前に、二つの選択肢
2社目には6年いて、前向きに新しいことを学んでいた。どんどん仕事もしやすくなると思うんですが、なぜ転職を?
一般的には自社QAなどと表現しますが、もともと事業会社のQAに対する憧れがありました。
テスト会社にいると、基本的に行動に制限がかかると感じていました。それは、テスト会社が仕事をもらっている立場だからです。仕事をもらい続けるためには、極論を言えば、製品の質を良くしてはダメなんです。悪い製品を出し続けた方が、その分だけテストの工数が増える。そういう構造から脱してより本質に近づきたいという願いから、わりと初期から自社QAに行きたいと思っていました。あとになってそれはテスト会社でも事業会社でも、あるいは職種に関係なく変わらないことに気づくのですが。
「本質的な」というのは、自分の仕事が極論すればなくなることを目指すようなもの?
そうですね。もちろん現実になくなることはないと思いますが。本来であれば1年ぐらいでその現場からいなくなって、「山下さんがいなくても回る」という状態を目指さないといけない。あるいは「もっとよくするためにいてください」と言われるような状態を目指さないといけない。受託ではそれは構造上難しいのではないか、と当時は思いました。
「当時は」ということは、今は違う考え?
今はそれを超える技術や関わり方もあり得るのではないかと思っています。逆に事業会社だからといって、制約なく目的志向で動けるとは言えない、むしろ同じ生きづらさがあると思っています。それはまさに「QAという職種に投影された何か」です。たとえば、QAはテストすべきである、というような。その点は一緒かなと思います。


テストをする側ではなく、プロダクトを作る側に回りたいという気持ちはなかったんですか?
「プロダクトを作る」が指すのがどういう意味かによります。「出来上がったものを確認するだけではない働き方」、という意味であれば、そうありたいと思っています。
「プログラマーとして働きたいか」という意味であれば、もうその考えと違っている感覚があります。うまく機能する、出来上がったものをお客様に届けるまで、あるいは出したものがちゃんと利益を出すまでがプロダクト作りだと思うので。テスターもプログラマーも、専門性の違いはあれど目的は一緒だというスタンスになっていました。
事前にいただいた回答には「自分が変わらないために環境を変えた」とありました。このときの選択をその文脈に載せると、どういう話になりますか?
そこはあまり言語化できるものではないし、する恐れがある部分でもあります。キャッチーな言い方をするなら「目的を見定める」みたいな言い方になるでしょうが。でもおそらくそこではない。言葉にできない質感を持っている、というのが一番僕の心情を表していると思います。
これが僕が「居心地の悪さ」と言っていることです。テストを担う人が巻き込まれうる力学に対する、自分自身の「居心地の悪さ」。目的とか本質とかそういうラベル付けされた、自分の外にある何かではないと僕は思っています。
なぜそういう言い方になるのかと言えば、やはりダイバースな自分が「それは結局、ものの見方の違いでしかない」と言っているからです。


「居心地の悪さ」を感じたときに、大きく分けると、自分自身が変わるのか、それとも環境の側を変えるのかという選択になる。それで環境を変えた。それが転職という選択?
そうです。そのことについて説明するのに「チャレンジ」を題材にブログを書いたこともあります。「隣の人に挨拶をする」というチャレンジをした。そのことにより生まれた気まずさを抜けるために、その場から脱することもできるし、そこにとどまることもできる。二人の自分がいて、どちらを選ぶのか。この時にとどまることを選ぶというのは、(転職のケースとは逆に)一つ自分が変わることを選んだ、ということです。
正社員として雇おうという会社がなかった
自社QAに移っても、目的に忠実になれるとは限らない構造があると先ほどおっしゃっていましたが……。
というより「構造が自分自身を定義する」といった方が正しいかもしれない。僕の場合は、たとえば本質とか目的とか本当に届けたい価値に向き合いたい。でも、向かせないような力学があることに気づいたりする。それは自社QAでもテスト会社でもどこでも変わらない。今のフリーランスという立場であっても変わらないという感覚です。
ということは、移った先でもまた新たな「居心地の悪さ」を感じることになった?
そうですが、前提として、「居心地の悪さ」は必ずしも悪いものではないと思っています。
居心地が悪いのは、自分と他の境界線にいるときです。あるいは自分とは違うところにいるとき。そのことを認知した上で自分に戻ることは、自分のアイデンティティ、確からしさを強めることになります。逆にそれを超えることは、自分の懐を広げることになると思っています。
ダイバースではない方の僕が「居心地が悪い」と感じているだけで、実際には外にも可能性があるし、内にも可能性がある。その間にいる状態のことを結構フラットな意味で「居心地が悪い」と言っています。
では聞き方を変えますが、実際に自社QAになってみてどうでしたか?
自由だと思いました。やはり裁量が大きい。構造としてロールや会社からの縛りがあることは認知していましたが、実際にできる行動は広がっているし、それはすごく楽しいことでした。
辞めた理由は?
2社ほど自社QAを経験しまして、これらはとてもいい会社でした。一方で、ある特定の出来事と自分の人生観、職業観を照らし合わせた時に、「居心地の悪さ」を感じて、結果的に退職しました。この件についてはこれ以上、どこにも語るつもりはありません。
それで初めてのフリーランスという選択をした。
というより、今フリーランスとして働いているのは正社員として働く先がなかったからです。


ああ、そうなんですか。できるなら正社員として働きたい気持ちがある?
今はわからないですね。ただ事実として、転職活動をしていた僕を正社員として雇う会社がなかったということです。
それはもちろん一方的に断られたという話ではなく、やまずんさんとして入らない選択をしたということでもあるわけですよね。
そういう側面はあると思います。会社側からすると、QAエンジニアをある種交換可能な部品として入れ替えたいという気持ちがあるでしょう。その思いはとてもわかるんです。ポジションに当てはめて「この人だったらこの範囲で動いてほしい」というのもわかる。でも、今の僕のレベルは、正直に言って「一点もの」だと思うんですよね。そういう意味では「僕にしかできない」「僕だからできる」という余地を残してほしいと願っています。少なくない場合で、その点に関してお互いに歩み寄れないと感じることはあります。
よくあるのが「この会社はテスト自動化が課題であり、それをガンガン進められる人が欲しい」といった話。そんなとき、僕は「それは本当に必要ですか?」と言って前提から疑ったりする。そういう僕のような進め方が無理な人というのは、やはりいます。
キャリアを重ねていくと、会社の方がその人に相応しい受け皿を用意できずに、結果として一緒に働けないことが増えると感じます。それは社会にとってもったいないことですよね。
前提として、会社は一人でやっているものではないですから。いろいろな人の生活がある上で成り立っている以上、「山下のことをコントロールできないから」とか「山下を嫌う人がいるかもしれないから」という理由で採用を見送るのは自然な流れだと思う。問題を解決することだけが組織がある意味ではないので。そうした決断に正しいも正しくないもない。「居心地の悪い」人は自分の他にもいる。そういうふうに今は考えています。
「社会にとってもったいないのでは?」というご指摘は、僕としても実はそう思っています。けれどもそれも僕や、あるいはあなたの見方でしかない。別の見方をしたら、社会が僕を受け入れられないのにも理由はちゃんとあるのだろう、と思っています。
今も残るテスターとしてのアイデンティティ
「System Fixer」を名乗り始めたのは4社目を辞めるころですよね。当然、今のようなお話が関係しているのだと思いますが、この考え方にたどり着いた背景を伺えますか。
テストの仕事をしているといろいろなバグが見つかりますが、なぜそうしたバグが起きたのかについてはいろいろな見方ができます。たとえば、システムのバグに関することで、元を辿ると仕様のコミュニケーションのズレがあったとする。それはそのプロダクトオーナーが伝え方を間違った、あるいは要件定義の技術がないという見方もできます。一方、その人とチームとの間に適切な関係性を見立て、その対策やリスクを見誤った第三者、ここでの第三者は組織や構造の問題だと捉えることもできます。
このようにして、僕はすべてのバグやそれに関連して起こる問題を仕組みの問題、いろいろなものとの相互作用によって起きているのだと捉えています。そうしたふわっとした構造を一番キャッチーな言葉で表現したのが「システム」です。
物事をシステムとして捉えると、多面的に受け取ることができます。中には「あいつが悪い」「あの場所が悪い」というケースもないわけではないですが、複雑な関係の中で起きたことであると思うと、その歪みすらある程度愛せる。大切にできる。
その感覚はわかります。
金継ぎという技術があります。僕も実際に金継ぎをしたことがありますが、金継ぎというのは要するに、傷跡をむしろ目立たせることでより美しくするという考え方。歪だけれど、それを綺麗にする過程、あるいは綺麗にした跡も美しいという価値観です。職業人として美しさを求めることが社会的にいいかはわからないですが、僕はこうした考え方を美しいと思いました。
「Fixer」というのは「直す人」でもあるし、「黒幕・汚い手を使う人」というイメージもありますよね。裏から手を回したり政治的な泥臭いことをしたりしてでも、システム、つまり大きな構造の中で抑圧されている人や感情を少しでも楽にする。そういうことを思って「System Fixer」とつけました。


実際に「System Fixer」としてふるまうには、やるべきことが多岐に及ぶと思うんですが、それは実現可能ですか? どこまで実現できるものでしょうか。
仕事としてできるのかという意味で言えば、現実に僕には雇用がなかったわけで。けれども生き方としてはあると思っています。
例えば現実にバグがたくさん出ているときに、遡ると実は経営者同士が対立し、うまく協働できていないことが問題だったということがある。あるいは「あのCXOやマネージャーが悪い」などと特定の人が原因のように言われているけれど、実際に見てみると、構造的になるべくしてなっていると感じる場面があります。
そういう問題に対して「System Fixer」には現状、二つのスタイルがあります。一つは柔らかいやり方。コーチングの技術を使って自分で気づいてもらえるお手伝いをしています。
もう一つは、今そこにあるまずいシステムを極端に表出させ、場合によっては動かします。その結果、必然的に起こる破壊を見せることで気づかせるアプローチ。こういった極論を示すと、相手の中に矛盾が生じるということはよくあります。ただ、このやり方は傷つく人、時には認知的不協和から敵対行動をする人を作るので、よほど信頼関係のあるケース以外はやらない方がいいですね。
具体的なアクションとして「テストをする」とか「プログラムを書く」といったことを今でもするんですか?
必要があればやる、というくらいです。
必要な場面はそれなりにあるんですか。それとも減っている?
どうだろう。案件によるからわからないというのが正直なところですが、少なくとも「人がいないから(僕が)テストをします」ということはしないようにしています。僕がテストをすることに意味があればやる、という感じです。
ただ、テストの中でも、プロダクトを動かして実際に結果を得ることをテスト実行というんですが、そのことには重要な意味があると思っています。なぜならそれは現実を見る、事実を見るということだからです。どんな視座であっても、事実を見ることは必ずしなくてはいけないと考えています。そこから離れては無意味なものになると思っています。
これはおそらくテスターとしてのアイデンティティが強く残っているところです。システムとして物事を捉えると言ってもホワイトボードの前だけでやるのではない。事実を見て、そこから学び、どうするかを考えるというのが大事な価値観として残っています。
これがテスターとしても、System Fixerとしても、「必要があればやる」です。
歪みのある世界で自分を正当化できる理由って
誰かと仕事をする上で、あるいはキャリアを切り拓いていく上で、自分自身をどう定義するのかというのは極めて大事なことだと常々思っているんですが、改めて、自分をラベリングすることについての考えを聞かせてください。
まずラベルは大切です。自分がどういう属性を持っているかを開示しないと繋がれない人がたくさんいます。これは事実です。その意味でラベルや属性は必ず必要だと思っています。
しかし、そのラベルの持つ意味合いはいずれなくなったり変質する、これも本質的な話だと思っています。最近だと哲学者のウィトゲンシュタインが流行っていますね。「言語ゲーム」などと言ったりもしますが、言葉につけられた思いは生活の中で一個一個違うし、絶えず変化していくし、洗練させていく必要がある。「QAエンジニアなんだからこうだ」というのではなく、文脈によって変わり得るという現実を見なくてはいけないと思っています。
たとえば「価値」という言葉でもそうです。それは本当に正しいのか、つけたときの思いはちゃんと生きているのか、そういうことと常に向き合う必要があるのではないでしょうか。


相手と自分で同じ言葉を使っていても、異なるものを意味しているかもしれないし、時々刻々と変わってもいく。その中で対話するのは難しいことですよね。
たしかにそうですが、「事実」というのが共通言語になり得ます。言葉というのは事実、これは「事実」そのものにも多様性があるということなんですが、それを取り出したものでしかないわけで、常に事実から出発することが重要だと思っています。これは先ほど触れた、僕がテスターというアイデンティティを手放せずにいることとつながる話だと思います。
「System Fixer」として、あるいは別の名前かもしれないですが、この先について考えていることはありますか。
ソフトウェア開発を幸せにしたいです。ただ、ソフトウェア開発における歪みや品質のいいプロダクトができないという歪みは、ソフトウェア開発の外側にあるとも思っています。それは社会とか地球とか、人間という存在そのものかもしれません。
それらすべてを僕一人で解決できるとは思っていないです。僕の世代で解決できるとも思っていない。けれども、人生のテーマとしてそれをやりたいと思っています。
特定のプロダクトでめちゃくちゃ稼ぐことよりも、今地球にいる人々、今後生まれてくる人々が自分らしく、「居心地の悪さ」さえも大切に思えるような世界を作ろう。それを作るための一人として活動しようと、わりと本気で思っているんです。
もちろんお金はあった方がいい。自分や奥さんが幸せな方がいい。だから僕が生きていることの意味は二つあります。一つは僕の家族、妻を幸せにすること。もう一つは世界を次の世代のためにちょっとでもよくすること。この二つしかないと思っています。
「世界をよりよくする」というのは、たとえばどういう動きですか?
仕事のほかだと、ざっくり言うと、教育分野に貢献するとか、地域のゆるいつながりをどう生成的なものにしていくかとか、対話の技術をいかに世の中に広げていくか、とか。そういうことを考えているし、実際に地域のボランティアに参加したりもしています。
「一人一人がいきいきとしたものを作る」「ソフトウェア開発の分野でちゃんとしたものを作る」ということへの貢献の先に、それがどんどん社会に実装され、60歳になるころには僕と同じような意思を次の世代に渡せるように、という気持ちでやっています。


すごくいい話だと思いましたし共感もするのですが、最後に一つだけお聞きしたいのは、何がやまずんさんをそのようにふるまわせているのか、です。
おそらくそうしないと自分が生きていることを肯定できないからでしょう。
僕がある程度の収入をもらってこういうインタビューを受けているそのときに、一方には職がなくて、生活保護をうけて、重病で死にかけている人がいる。これは架空の人ではなく実際の友人です。他にも、家族などの最もプリミティブなシステムから生まれるさまざまな問題を一身に受けて、つらい目に遭っている人だっています。世界を見たら、もっとしんどい人もいるかもしれません。同じ人間なのに、です。
そんな歪みのある中で自分が生きていることを正当化できる理由とは何かと考えたら、自分の家族といったそういう本当に大切なものを見つけるか、世界をよくするか、その二つくらいしかないと思ったんでしょうね。それしか思いつかなかった。他に何かありますか?
いや、きっとあるとは思うんですけど、僕はそういうふうに考えてしまった。そういう感じだと思います。
LIFE DRAFTは、人間を取材する。
既にあるITエンジニア像をなぞるのではなく、その人がどう生きてきたのかを丁寧に聞くことで、エンジニアという生き方を描きたい。有名CTOや凄腕ハッカーばかりを取り上げたりはしない。キャリアも属性もバラバラのエンジニアに、じっくりと話を聞いてみたい。
インタビューで聞いているのは、技術や仕事のことだけじゃない。家族のこと、身体のこと、迷い、偶然、諦め、死生観、言葉にならなかった心の揺動。ほんとうは、そういうものの上にエンジニアという生き方があるはずだ。人はみな、それぞれに固有の生を生きている。その抽象化できない生き様を、LIFE DRAFTは一つ一つ映していく。
かつてないほどにキャリアが多様化するエンジニアの今日を、私たちは描いていく。数えきれない生き方がある。
